日々雑談~3593~

 信長も山下言継のような公家や当人の単独上洛と、中央とのつながりや人脈が無かったわけではないけど、天下統一に近い実力者としてつき合うのはそりゃまた別の話よね。京都に限らず、地元以外からやって来た権力者ってのは、どうにも軽く見られがちですしね。

 そういった意味では、信長の部下として中央で実務経験を積みつつ人脈を構築、京都に近い北近江に領地をもらい、中央に通ずる人材を確保。最終的に信長以上のハッキリとした権力を手にした秀吉は、1からきっちり中央との付き合い方を学んでますね。秀吉は秀吉で、出自の低さというマイナスポイントが信長の倍増しだったので、大変だったとは思いますが……でも、最終的に関白を手にしているのだから、なんだかんだで乗り切ったとは思うのですよ。信長と比べ、秀吉が中央との付き合いに時に強引な一手を織り交ぜてるのは、実務を通して「言葉だけでは解決できないこともある!」と知った結果だよな……。言葉と人脈に絡みとられるタマじゃ、京都でやってくのは辛い。

 そして家康もまた、秀吉配下として中央で活躍しつつ、やがて豊臣の代わりに京都を差配することに。しょうがねえよ、関ヶ原の戦いで、豊臣の政権運営できる人材、ほとんどいなくなっちまったし。結局の所、中央の付き合いに必要なのは場数と経験。上役の元、学び経験を積む機会がなかった信長は、戦国三傑の一番手ならではの苦労を背負ってるわ。