バレンタインのおまじない

 僕にとってのバレンタインデーは、チョコを貰える日であり、姉さんのたわごとを聞く日でもある。いや、たわごとはいつもか。
「ふう、あたたかい。ウェルカムトゥようこそコタツパーク……今日もドッタンバッタン……できるわけがない! コタツで大騒ぎするやつなんて、シベリア送りだ。コタツの愛をかみしめろー……」
 何年たっても、この人は変わらない。若干、口調が変わった気はするけど。バレンタイン当日、業務用チョコをたんと買ってきて、コタツでだらだらしながらポリポリかじっている。それに付き合っている僕も、きっと変わっていないのだろう。
 なんとなく点けているテレビも、今日はなんだか茶色とピンクの占有率が高い。ワイドショーできらびやかなアイドルが出演者たちに甘い声で甘いチョコを配っている。なんだかまぶしすぎて、目を背けたくなってくる。
「うんうん、つらいよね。人間、だんだん輝きを失って、それと反比例で輝いている他人を見るのが辛くなっていくのさ」
 わかるよ、わたしはよくわかるよと、姉さんの顔は朗らかな優しさに包まれていた。同意したが最後、あのままこちらの足を引っ張って、輝きなき暗黒の世界に引きずり込むのだろう。人間、輝きを失うと狡猾に老いていくのだ。
「なに、その同情の瞳……ああもう、わたしもあの娘たちみたいに、本気出すかな」
「あの娘たちって?」
 思わず問いかける。姉さんはコタツにつっぷしたまま、軽く答えた
「そこのTVにいる娘たち」
 テレビでは、未だバレンタイン企画が続行中であり、今はアイドルグループが手作りチョコと格闘中であった。
 なるほど、バレンタインはこうやってだらだらするのが毎年恒例、「枯れる」の三文字が似合う女性が、楽しそうにきゃぴきゃぴやっている、僕よりも若くてファンもごまんといるアイドルと自身を並べているのか。むしろ、本気を出すとは、すなわち同じ土俵。アイドルにでもなる気なのか――
 ならば、弟としては、なんとか協力してやるべきだろう。
「握手会のサクラ、10人ぐらいなら用意できるから」
「え? なんでわたしがアイドルに? ああでも、こんな導入で始まるアイドルものって、結構多くない?」
 コタツから顔を上げた姉はきょとんとした顔をしていたが、だんだんまんざらでもない風になっていく。
 ああ、もうこうなったら正論をぶつけるしか無いだろう。
「最初から握手会をサクラでどうにかしようって話が出てきている時点で駄目じゃないかな」
「ですよねー」
 再びコタツにつっぷす姉。ああよかった、勝率一桁の戦いに挑むのを止めることができて、本当に良かった。
 まあそれはそれとして、疑問はあるわけだが。
「あの娘たちみたいな本気って、結局何?」
 いったいこの人は、どんな本気を出す気でいたのだろうか。
「そりゃあ、バレンタインのおまじないに決まっている。アイドルはみんな、おまじないを知っているからね」
 姉さんの回答は、いつもどおり聞いてもよくわからないものであった。

 

 ずずっとブラックコーヒーをすすり、ビターチョコを口中に投げ込む。
 見ているだけで苦い顔になりそうな取り合わせを楽しんだ後、姉さんは改めて口を開いた。
「芸能……っていうと新しいイメージがあるけど、芸の道はずっと昔から。他人から視線を集める生業は、たぶん古代からある。たとえば、アマテラスを引っ張り出すために宴会を盛り上げた、アマノウズメとかね」
 天の岩戸に閉じこもったアマテラスの注意をひくために、扉の前で繰り広げられた大宴会。アマノウズメは踊り子として皆を盛り上げ、結果、アマテラスは宴会の騒ぎが気になりすぎて、岩戸を開けた。服を脱いでまで踊り続けたアマノウズメは、日本最古の踊り子にしてストリッパーだと、聞いたことがある。
「当然、大きな注目を集めるには、本人たちの並々ならぬ努力が必要となってくる。歌に踊りに……きっとそのレッスンの厳しさは、本当に不変なものなんだろうね。でも、あと一歩で足りない、素質も鍛錬も十分なのに注目を集められない。そんな時に頼るのが」
 思わず、姉さんの答えを待たずに、台詞が口から出てきた。
「おまじないってこと?」
 姉さんはゆっくりとうなずいた。
「神頼みは0から10を叶えるものではなく、9を10にするべきもの。人事をつくしても足りないときにこそ、頼るべきなのよ。だから、不確かで移ろいやすい他人の視線を相手にする芸事の人間は、同じく少し足りない部分を補ってくれるおまじないの確かさを知っている。形や職業の呼び方は変わっても、脈々と誰かを伝って、おまじないはあり続けているのよ。芸能プロダクションに伝わっていれば、そこのアイドルみんなに伝わるからね」
 踊り子、巫女、アイドル……他人の視線を浴び続けねばならない彼女たちの中には、おまじないがあった。きっと、統治者が変わって戦争があっても、その系譜が途絶えることはなかったのだろう。
 でも、そう考えると、不思議な気持ちになってくる。今、こうしてつけっぱなしのTVに映っているアイドルグループ、自分はその一人のファンだ。あのちょっと気弱そうで、芸能界の荒波に必死で抗おうとしている感じがたまらない。その頑張っている姿を見ていると、なんだか頑張ろうという気になってくる。
 だが、ひょっとしたらこの気持ちは、おまじないによるものなのかもしれない。彼女の頑張りはきっと嘘ではない。それはわかっている。でも、僕の彼女を応援したいという気持ちはもしかしたら、おまじないで生じるナニカに与えられたのでは。そんな懸念が浮かんでくる。得体の知れないナニカの衝動が、自分を突き動かしている。そう考えてしまうと、なんだか不気味で……。
「まあ、今の話、半分くらい嘘なんだけどね」
 ビターチョコを噛み砕いた姉の口から、苦味と無情さが同時に出てくる。アイドルの頑張りは嘘じゃなかった。
 でも嘘は、目の前にあったのだ。

 

 ホワイトチョコを口の中で舐める。普通のチョコよりも柔らかく大きな甘みは、妙な嘘でささくれだった心を癒やしてくれた。
「ごめんごめん、あんまりも真面目に聞くから、話が盛り上がってついね。芸能人もみんな、おまじないとまではいかないけど、きっと縁起ぐらいはかついでいるじゃない? だって、人気が大事で、足りない何かを補いない商売ではあるんだもの」
 ぶーたれて横になっている僕に、姉さんは声をかけてくる。こちらが相手をする気も無いとばかりに返事をしなくても、姉さんは勝手に喋り続けていた。
「でも、きっと今、そっちが感じた不思議さ。自分の中の気持ちや衝動に手を付けられたのではと疑う心。それが、おまじないの怖いところなんだろうね。だって、一度頼ったら、きっと疑い続けてしまうのだから」
 確かに、さっき、ほんの一瞬だけど、僕はTVの無効のアイドルと、自分の気持ちを疑った。
 姉さんはため息をついて、再び語り始める。
「もし、どんな人の心でも惹きつけられるおまじないがあったとしましょう。そのおまじないを使って、意中の人の心を繋ぎ止められた。めでたし、めでたし。物語だったらこれでいいんでしょうけど、実際はこの先が本番なのにね」
「だろうね」
 おまじないで恋が成就する。おまじないの効果を示す逸話なら、これでいいのだろう。だが、これは恋愛の始まりであり、おまじないをかけた方とかけられた方、二人の物語はこれからなのだ。
「もし、順風満帆で上手くいっても。もし、突然フラれても。もし、段々と心が離れていっても。おまじないのおかげ、おまじないの効力が薄れた、おまじないのせいで。感謝も悲しみも恨みも、ぜんぶ自分たち以外のナニカにぶつけることになる。一度頼ってしまえば、もう心が離れられない。おまじない、漢字で書くと『呪』がついてお呪い」
 好きでたまらなくておまじないをかけた相手よりも、そのおまじない自体に心が向いてしまう。本末転倒と言うには、あまりに悲しい。
 0から10を叶えるものではなく、9を10にするべきもの。頼ってもいいけど、決して頼りすぎず。しばらくしたら、忘れてしまうぐらいの距離感で。それぐらいが、いいのかもしれない。
「あ」
 唐突に、姉さんが驚く。
「どうしたの?」
 今まで無視してたが、思わず聞き返してしまった。
「いま、テレビ見てたら、アイドルグループのメンバー全員の手首に、何か書いてあるのが見えてね。あの紋様は、何処かの本で見たことがあるような……」
「マジで!?」
 思わず起き上がり、TVをまじまじと見るが、既に番組は別のコーナーに移り変わっていた。彼女たちの出番は終わったのだろう。
 いくらTVじっと観ていても、そこにあるのは芸人がアツアツおでんの早食いをしている姿だけだった。
「今の話も嘘だよ」
 またも、自分が嘘をついたという姉さん。でもその語気は、なんだかやけに空虚に思えた。
 そんな姉さんが差し出したチョコミルクを受け取って、荒々しく噛じる。
 最初は味がしなかったけど、だんだん口の中に、チョコらしい甘みが広がっていった。

 ~了~