日々雑談~1974~

 …………今起きた(某シャドームーンばりに
 夜早くぶっ倒れるようにして寝た結果、まだ暗いうちに起床。幸い妙なタイミングで時間が出来たものの、これは深夜更新と言えばいいのか、早朝更新と言えばいいのか。

 最近、紹介や解説系の記事はどういう形で書けばいいのか、ちと悩んでおります。例えばデッドプールの場合、手を付け始めた数年前は「日本でのフックがマブカプぐらいしかないし、がむしゃらにやらんとアカン!」みたいにガンガンいこうぜ! でしたが、今は映画に邦訳と沢山のフックがある状況。だったら、あるべきフックを使うのがおそらくベスト。簡単に言うと、フックのような物を作らなきゃいけなかった時代から、フックを使う時代への変換ですね。
 例えば、何かの邦訳が出るとして、その紹介記事を書く際……それが既に(洋書で)読んでいる作品ならば、詳しく語ろうと思えば何処まででも出来るんですよ。だって、既に読んでいるんですから。オチまでのあらすじに、詳細なキャラ描写に、その作品のテーマに。ただ、売れてほしいためのレビューで知識欲が満足してしまったら、そこで手を出さずに終わってしまうかと。スーパーの試食コーナーで丼いっぱい配ってしまったら、その商品を買う人は減りますよね。ネタバレまでいくと「まあわかってるしいいかなー」と、実際の商品に手を出さなくなってしまう。善意でやったことが買わない理由になる可能性もあるのですよ。
 全てを語ることを否定はしません。自分もやる時はやりますし。ただそれは、どちらかというと発売後の感想、発売前ならせめてホームページのような秘匿性のある場所に向いているわけで。ツイッターのような拡散性の高いメディアで、発売前にダーッと流すのは良くないですよね。せめて発売後にちょっと落ち着いてからの方が、好まれるかと。自分の文章を読んだ人がどう思うか。自分以外の人は、どう感じるか。読み手のことを考えるのは、古今東西どんな文章でも基本と呼ばれるものです。
 結局のところ、他人に向けて文章を書いてる以上、それがどう影響するか、読んだ人がどう思うか。自分以外の人の存在を考えなきゃいけないんですよね。ここを見誤ると、大変なことになるというか……知らないうちに公式の足を引っ張っていたり、狭いコミュニティの中で作品のあり方を完結させてしまったり。本人たちや本人が満足ならいいけど、コレはみんなの物ではなくずっと俺たちの物でありたい! という願いは、自己愛がちと過ぎるとしか言いようがなく。布教の目的は、その作品を愛する人間を増やすことで、自分や自分たちのシンパを増やすことじゃないんじゃないかな。
 まあアレですよ、俺は◯◯平気だよ! だから気兼ねせずやるね! ではなく、俺は◯◯で平気だけど、この◯◯を見て他の人はどう思うんだろう? と、一度立ち止まるのがきっと大事なことです。貫くのも変ずるのも、この過程があるかないかで、大きく変わります。

 変な時間に起きたせいで、脳のフレッシュさが妙に変な方向に行っているのか、妙に真面目で偉そうな話に。自分も、先が長すぎる道の未だスタート地点ですし、そうありたいなあと願う側です。日々精進、日々精進……と。