プロレス村社会の愚かしさ

 書いてるうちにイマイチになったけど、勿体無いので公開。

 このホームページでよく触れる物の一つにプロレスがある、しかし前身のラ・オンガエシ時代から見ると自分のスタンスは大きく変わっている。
 オンガエシの頃から肉雑炊の序盤までは、毎週雑誌を買ってTV観戦も欠かさない位の純粋なプロレス少年的ファン。それがだんだん摺れてきて、今はプロレスを強いではなく上手いで表現して、一歩退いた位置で見ているヒネたプロレスオタク。前者は業界が扱いやすいファンで、後者は業界が持て余す人間だ。
 このように少年ファンがグレた理由はただ一つ、グダグダすぎる村社会に嫌気が差した、これに尽きる。
 都合の悪いことはタブーとして皆が一斉に目をそらし、そのタブーに触れようとした者は、村八分の後に村から追い出す。いざ余所の街のモンが来ると一斉に口汚く罵るけど、街のモンがお金持ちだと分かると擦り寄る。家系を重視して、幾ら優れた人間でもルーツのあやふやな人間は下として扱う。
 書き出してみると、本当に日本の村社会の悪の側面を肥大化させたような業界だ。そして若者は村を見捨て別の街や関係の無い都会に旅立ち、残るのは自分達を省みられない老人達。きっと村が滅ぶ寸前になっても、彼らは誰が悪い俺は悪くないで揉めると思う。なぜなら、内ゲバで勝手に衰退していったのが、この村の歴史なのだから。

 ミスター高橋。
 かつてこの名前はプロレス関係者の中でタブー扱いされていた。理由は、『流血の魔術 最強の演技』という暴露本を出してプロレスがやらせであると暴露したからだ。かつて業界の大手新日本プロレスのメインレフェリーを務めていた男による八百長の暴露、中々に衝撃的な話だ。一応建前的にガチを公言しているプロレス界としては実にまずい。対策としては、文筆業に属するプロレスマスコミが理路整然とした論調で高橋氏を論破し、レスラーや団体は八百長疑惑を拭う様な試合を連発し後方支援に徹する。素人考えでは有るけれども、これが業界を守るために当然とるべき対策ではなかった。少なくともきちんとした反論は絶対に必要だった筈。
 しかし、業界はこの本を黙殺した。すでに業界内だけでなく、一般でも話題となっているこの本を。反論したら無効の思う壺だという考えはカッコいいけれども、世間にも広まりかけている本に対して取る対策ではなかった。無言=黙認=真実と普通は捉える、沈黙の金も最近は錆びるようになったのだ。
 たぶん自分が純粋なプロレスファンからひねたオタクに転向したのは、この本が切欠だったと思う。本の内容に絶望したのではなく、この本を黙殺しきれると思った業界のあさはかさと愚かさに絶望したのだ。
 正直、高橋氏のやった事は手品の種をバラすような無粋な事だという考えもある。だが、反論の一つもロクにしなかった業界は無粋を通り越して無知だ。何のために専門のマスコミを囲っているのか、こういうときに文筆で対抗するためにではないのか? 
 だが己が無知であると知らない人間は、再び同じ事をする。セッド・ジニアスと大仁田厚の裁判だ。裁判自体はバカとアホの喧嘩レベルなので、ここでは触れない。触れるのはこの裁判の判決の中で「プロレスは取り決めのあるもの」と扱われた事だ。つまり国がプロレスは八百長であると認めたのだ。
 このガチ神話のアイデンティティを揺らがす大事件に対して業界が行ったことは、セッド・ジニアスの名をプロレスラー名鑑からこっそり消すことだけだった。戦犯の片割れである大仁田は今日も変わらずファイヤー!してる。最も、同じように大仁田を村から追い出しても余所(例:国会)に迷惑をかけるだけなので、彼に関しては村で一生養っていて欲しい。
 何か問題があると沈黙を貫き通し、それに呆れたファンは去って行き、プロレスに興味の無い外様はジャンルをハナから見下し、新たなファンの窓口は狭まる。表面上の問題を黙殺しながら、彼らは絞首台の階段を登っていく。既に残りの段数は六段以下か……。

 2009年1月4日の新日本プロレスのドーム大会。例年の倍近くの観客が入り、選手も良い試合を連発し、プロレスここにありというのを満天下に示した。
 業界の人間もみんなホクホクなのは当然の話。しかし、こうして彼らは先日までの厳しさを忘れる。栄光からしか、彼らは学ぼうとしない。なので、同じような過ちを飽きる事無く繰り返す。
 力道山没後の日本プロレス分裂から現在まで、プロレス界はいさかいからの分裂を続け国民的スポーツの座から滑り落ち続けた。現在細分化は極みを向かえ、もはや誰も増えすぎた団体数を把握できていない。雨後の竹の子のように、ポッと簡単に団体が出来る時代だ。
 結局、この業界に最も欠けているのは自省の心なのかもしれない。誰も彼もが自省しないために過去の過ちと同じ事を繰り返し、同じ過ちを飽きもせず繰り返すのだ。
 プロレス黄金期と呼ばれた時代のレスラーが、したり顔で今のプロレス界を批判する。俺たちの頃は云々かんぬんと偉そうに語ってはいるものの、少し考えを巡らせれば彼らは裸の王様だ。黄金期を生き抜けても、維持や継承は出来ませんでしたよと自分で言っているのだから大した物だ。黄金期を食いつぶした事を自慢しているのは、流石元レスラーと呼ぶべき胆力ではある。
 マスコミは提灯持ちしか出来ず、つまらなかった試合をつまらないとも書けない。彼らの情報どおりに判断すれば、プロレス業界に関わる者は皆が聖人君子で、ときたま起こるトラブルも愛嬌の成せる業。そもそも彼らの情報だけで業界の歴史を紐解くと、何故この業界が没落したのかがわからない。都合の良いことだけよくもここまで載せられる物だと、感心するしかない。彼らに比べれば一般のマスコミは随分と公明正大な機関だ。
 あくまで個人的なものかつ過激な意見であるが、一度彼らは本気でもっと追い詰められるべきだと思う。そうでもしないと自省を学べないくらいに、彼らは愚かだ。ただ一つの事も焼畑を覚悟しないと学べないくらいに閉鎖的で硬直化した業界、それがプロレス村という業界だ。