イチバンの女らしさ!?

 765プロ事務所のソファーで、真は溜息を吐き実にアンニュイにしていた。
「はふぅ~~……」
「なんというか、実に紛らわしい溜息を。どうしたのよ真、元気ないじゃない」
 近くの席のパソコンで作業をしていた律子が、真の様子を心配し声をかける。目はモニターから離していないし、キーボードを叩いてもいる、まだこの時点で律子はあまり事態を深く考えていなかった。
「いやぁね。なんというか、最近このままアイドルを続けてていーのかなって思い始めて」
「ぶっ!」
 律子は思いっきりモニターにツバを吹いてしまった。いきなり唐突過ぎて深刻な話題は不意打ちに相応しい、律子は真に内心「やるわね」と呟いた。
「あ、ゴメン。ビックリした?」
「ゴメンも何も、ビックリよ。今どうみても菊地真の波が来てるのに、そんな事を言うだなんて。社長が聞いたら、いきなりすぎてひきつけでも起こすんじゃない?」
 765プロには個性様々なアイドル候補生たちがいる。律子もその一人だ、決して事務の契約社員ではない。そんな候補生たちの中で、今一番世間一般に顔が知れて人気が有るのは真である。いちはやくキー局でのレギュラーを手に入れ、新作ドラマのオファーなんかも来ている。そんな彼女が世間話レベルとは言え、引退を示唆するとは。悪徳記者に聞かれでもしたら、週刊誌にあることないこと書かれてしまう。
「いやまあ、波が来てるのはわかるんだけど、微妙にボクが望んでた波とは違うような気がして……」
「傷ついて倒れそうな時には、ファンの気持ちを胸に抱きしめて。アイドルのカンフル剤ことファンレターの到着だー!」
 バンと勢い良くドアが開き、二つの大きなダンボール箱を抱えたプロデューサーが現れた。大きな荷物を抱えて階段を上ってきたせいもあって、息がすごく荒い。
「プロデューサー!? 来てたんですか!?」
「話はドアの向こうで聞かせてもらった、おかげでちょっとひきつけ起こしてヤバかったけどな」
「アンタもかい」
 律子が汚れたモニターを拭きながらツッコミを入れた。
「この場に居るのは律子と真のみか。じゃあ律子、これがお前の分のファンレターだ。そしてこれが真の分だ」
 輪ゴムで束ねられた複数の封筒が律子に手渡される。そして真の分はというと、残りの全てであった。つまりダンボール二箱分。
「これはまた、随分と」
 まず先に律子が驚いた。中を開けてみると手紙でギッシリ、なんとか詰めに詰めて二箱というような物量だ。
「正直郵便局から連絡が来た時は何かと思ったけどな、これじゃあそりゃ連絡もするよ。どうだ真? 嬉しいだろ」
「そりゃあ嬉しいですけど」
 ハハハと明るくプロデューサーは笑うが、真はまだ沈んだままであった。
 やがて真は暗いままでポツリと言った。
「どうせ、男性からのファンレターは来てないんですよね……」

「ちゃんとあるよ、男性からのファンレター。しかもそれなりの数が」
「「嘘ぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」」
 意外なプロデューサーの言葉を聞いて、真だけでなく律子まで揃って叫んだ。
「ちょっと待て律子、いまボクと一緒に嘘って」
「気のせいよ、気のせい」 
「はっはっは、男性からのファンレターが0だなんてオチが人気アイドルに許されると思っていたのか。ちゃんと男性からのファンレターも別口で保管してあるんだぜ」
 プロデューサーは戸棚の奥からいかめしい小型金庫を持ってくると、開錠の作業に取り掛かった。カギだけでなく、ダイヤルロックやナンバーズロックまでてんこ盛り、幾重もの封印を解いて中身を見せる。金庫には満杯にファンレターが詰まっている。ただあまりに封印が厳重すぎて、宝物を通り越して呪いのアイテムのような扱いであるのが一抹の不安を抱かせる。
「ほら、この通り。真がデビューした当時から今までの分の男性からのファンレターだ。ダンボールまでとはいかないが結構量はあるぞ」
 大小様々で数は百に届きそうで、今日届いた律子のファンレターの数倍の量がある。ダンボールには劣れども決して少ない量ではない、どの便箋も宛名が男性特有のゴツゴツした字で書かれていた。
「わぁ本当ですね、プロデューサー。ボクの女の子としての人気も捨てたもんじゃない、へへっ」
 真は一気に元気を取り戻した。話の展開はどうみても男性からのファンレターはありません的な物だったのに、蓋を開けてみればこの量。予想外ではあれども、良い方向に話が進んでいる。
 ただ喜びのせいで真は気付いていない。何故このファンレターが今の今まで存在を真に伝えられず、封印まがいの扱いを受けていたのかに。どう考えても、ちょっと怪しい。
「そうだ、菊地真は女の子。こうやって男性からのファンレターは来ているんだから、そう気に病むこともないさ。というわけでこれを励みにして、これから先も頑張ろうな」
「ところでプロデューサー」
「なんだ、律子?」
 やけに厳重な封印を見て以来、どうにも不審そうであった律子が思い当たった事をプロデューサーに聞いた。
「その手紙の中の文章に、『ウホッ!』『やらないか?』『俺がいちばんセクシー』とか、まさかそんな単語は入ってないですよね?」
「……真、確かにお前には男性からのファンレターは来ていない。波が来そうな今こそ、男性からの人気を得る方法を模索すべきだ」
「ええええええええええええええ~~~~!? 」
 そそくさと手紙を片付け始めるプロデューサー、律子の発言により怪しいファンレターの全てが無かった事になった。そもそも見せるだけで、読ませるつもりは全く無いファンレターであった。たぶん中身を見たら、明日には菊地真の引退会見をするハメになる。女の子扱いどころか、これらの手紙では菊地のアニキで以下省略。

「確かに言われたとおり、真のファンの男性比は決して高くない。そして真は男性ファンの増加を望んでいる。ならば俺はプロデューサーとして、その悩みの助けとなろう!」
「本気で、さっきのファンレターは無かったことになるんですね」
 一端、仕切りなおしての会話。なお、先程の禍々しいオーラを放つ手紙は厳重な封印とお払いの後に、再び棚の奥に仕舞われた。たぶんこれから先、永遠に日の目を見る事は無い。
「それはそれ、これはこれ。とりあえずそうだな、身の回りの人物で誰みたいになりたいかを言ってみろ。幸い765プロのアイドルは誰もが個性的でキャラが被っていない、具体的なイメージが有った方が話も早いし伝わりやすい」
「なるほど、誰みたいになりたいか。確かにその方が話は早いですね」
 無形の物を目指すより、先達が居たとしても有形の物のほうが形を作りやすい。ただ漠然と女の子になりたいと願っても、叶えるのも叶うのも難しい。
「例えば、律子とかは?」
「おいおい、今からそんなマニア向けのニッチな路線を目指してどーするんだ?」
「殺すぞ、きさん」
 先日デビューしたばかりの律子の殺気がプロデューサーに向けられた。
「んー、だったらボク、美希とかあずささんみたいになりたいです。あの二人は男性ファンも多いんですよね」
 星井美希と三浦あずさ、両方とも生来の男性を惹きつけるオーラを持っており、潜在的な男性ファンの数はかなり多い。男性向けという視点であれば、765プロのツートップ候補だ。
「うん、まあ多いよ、彼女らの男性ファンは。でもな真、それは無理じゃないかな。だって美希なんかフェロモンが服着て歩いているようなもんだし、あずささんにいたってはもはやフェロモンが全裸で歩いているレベルだろ。ちょっとアレは生まれ持ったものだから……」
「その言い方だと、あずささんが常に全裸みたいじゃないですか」
「そういう律子だって、あの二人のそういう魅力は良く知ってるだろ? なにせ、あの二人の次に魅力的なのはお前だ」
 突如プロデューサーは律子に話を振った。魅力的といわれた律子は少しだけ頬を紅くしてから、諦めたようにして話す。
「3サイズだけの話だけじゃないですか。まあ、わかってますよ、あの二人の魅力は。同じ路線で勝負したら絶対に敵わない事も、じゅーぶんにわかってます」
「なら辞めるか、アイドル?」
 意地が悪いことをプロデューサーが軽く言った。
「いいえ。別に同じ土俵に立たなければいい話、土俵は一つだけじゃないですからね。多様な華が生きられるのが芸能界でしょ?」
 律子は強かった。自分の役割を理解し、己が最も栄える道を常に模索している。敗北を噛み締め分析し、勝利の礎とできるだけの頭の良さを持ったのが秋月律子というアイドルだ。
「その通りだ。成長したな、律子。もう影口でも眼鏡ッ娘教団のシンボルだなんて言えないぐらいの成長っぷりだ」
「わかったよ、アンタが私の味方でない事だけはわかったよ」
 言葉は厳しいが律子は本気で怒ってはいなかった。むしろ腹を割って話した事が良い方向に向かったらしい、今すぐに効果は出ないが長い目で見れば悪くない話し合いであり、律子が後に大成するであろうと確信できたコミュニケーションであった――

「ちょ、ちょっと待てー! なんですかこの、律子とのコミュニケーションは!? ボクこと菊地真がメインのお話ですよね!?」
 本気で話が終わりそうになって、真が本気で焦る。主役は真のはずだったのに、律子に話を持っていかれたまま終わりそうになるという緊急事態が起こりかけている。
「ただのコミュじゃないぞ、選択肢ばっちりのパーフェクトのコミュだ」
「あの会話の流れで!?」
 ニッチだのメガネだので散々だった気がする。あんなので思い出ボムを5つ貯められた日には、律子オーディション最強説が流れてしまう。
「そんなわけないじゃない、全くプロデューサーは何時も適当なんだから」
 そう言いながらも律子は嬉しそうだ。パーフェクトは無いにしろ、グッドぐらいは取れたかもしれない。ハートにして3つです。
「うう~ッいいですよ、もう。どうせボクは男役ですよ。こうなったら宝塚を滅ぼす勢いで女性ファンを掻き集めてやりますよ。それがボクの生きる道、うわ~~ん……」
 あきらめの良いことを言いながらも、未練はたらたらである。するとプロデューサーはファンレターが詰まったダンボールの中から、適当に複数のファンレターを掴み上げる。差出人だけを軽くチェックし、ピックアップしたファンレターを真に手渡した。
「そういうわけにもいかんだろ、女性の真の需要もあるんだから。ほらよ」
「これは……?」
「正真正銘の男性ファンからのファンレターだ。言っただろう、男性からのファンレターもそれなりに有るって。割合的には少なくても、これだけあるんだ、決して少ない数じゃないぜ」
 にやりと皮肉げにプロデューサーは笑う。その笑みに皮肉特有の嫌らしさは無かった、むしろイタズラ小僧の笑みのように爽やかなイメージがある。
 ゆっくりと慎重に繊細に、真はファンレターの封を恐る恐る開け中を確認する。文章がつたなかったりする物もあるし、やけに難しい言い回しが多用され読み辛い手紙も有る。しかし千差万別どの手紙からも共通して、読むと心が温かくなるような情を感じた。気恥ずかしくなるぐらいの応援のメッセージ、少なくともこれ等の手紙の中では菊地真は正真正銘の女の子アイドルだ。
「確かに外見は容易く人を惹きつける。だが、それはあくまで一過性の物に過ぎない。人を本当に惹きつけるのは、内面の輝きだ。そして常日頃女の子でありたいと願っている真の内面は、ある種誰よりも女性らしく可愛らしく輝いている。男性ファンの数は少ないかもしれないが、真のファンは誰もが輝きに魅せられ、真の中性的な外見の下の女らしさを見抜いている。この765プロ随一の女らしさが菊地真というアイドルの一番の魅力、俺は少なくともそう思っているよ」
 真面目に冗談抜きで熱く語るプロデューサーの言葉に、真だけでなく律子でさえも気圧されていた。いい加減という外見に隠された、内面の熱さ。本人は意図していなさそうだが、今のプロデューサーの姿こそが、人の内面の輝きが持つ魅力の証明であった。
「ふっ、少しカッコよすぎたか。バランスの為に、のっぴょんぴょーんとか意味無く叫んでも良いかな?」
「いやいや、そんな馬鹿らしい事しなくても大丈夫ですから。プロデューサーの言いたい事は分りました。ボク、これからも女の子の気持ちを忘れずに精進します!」
 ひときわいっそうなによりも、真の顔は輝いていた。内面の輝きに慢心せず、精進という形で初心を忘れない。こういう事が出来るから、一度真の内面を垣間見た男性ファンはその魅力にやられてしまうのだ。
「内面の輝きね、私にも有ると良いんですけど」
「誰だって内面にはある種の輝きがある。それを磨くかホコリをかぶすかは、個人の自由。まあ、765プロのアイドルはみんな輝いてるけどな。律子だって例外じゃないぜ?」
「そうだよ、律子。これからもみんなで頑張ろう!」
「ホントいい輝きね、プロデューサーが褒めた気持ちも分るわ」
「へへっ、照れるなあ。このまま内面に磨きをかけて、いつかあずささんや美希を超えるフェロモンを手に入れるんだ♪」
 真がこう言った途端、プロデューサーと律子は合図も無いのに同時に目を逸らした。いきなりあさっての方を向いている。
「え? なんですか、その二人のリアクションは」
 快活だった場の空気が一気に微妙なものとなった。
「それはそれ、これはこれと言うか……」
「あえて言う、調子に乗るなよ」
「プロデューサーマジギレですか!?」

 身になったような身にならなかったような、そんなある日の風景だった。