ザ・サムライ~ラストラウンド~

 聖杯戦争はこの場所に帰結する。
 柳洞寺に隠された洞穴。本来ならばこの洞穴で、従者の誇りがぶつかりあい、姉妹の因縁が清算され、一人の男の執念が滅びる。つまりは最終決戦の場所。
 しかし、今この洞窟で行なわれているのは決戦ではなく、ただの特訓だった。だがこれを特訓と呼んで良いものか。特訓というにはあまりに無慈悲で、あまりに残虐。傍から見れば、これはただの拷問しか見えなかった。

 深い洞窟でネプチューンマンはギターを奏でていた。曲目は『イエスタディ』英国の傑物ビートルズの代表的な名曲だ。亡き母を偲んで作った詩は、なにか物悲しい。
「うっ……」
 呻き声が合いの手で入り、ネプチューンマンは演奏を止めた。
「どうした。まだ八時間しかたってないぞ」
 洞窟の天井に吊るされ呻く、士郎の姿は凄惨だった。上半身裸でぶら下げられられ、ところどころに血が滲んでいる。血の臭いをかぎつけたコウモリたちが、士郎の血をすする為に群がり、新たな傷が生まれる。新たな傷から湧き出た血が再びコウモリを呼び寄せると、終わらない苦痛が続いている。
「こ、こんなことで強くなれるのかよ。もっと、道場で鍛えたり、魔術について勉強するとか、こんなんで聖杯戦争を終わらせることができるのか?」
「勝ち抜くために、こうしてんじゃねえか。この特訓は俺たちの勝利に直結してるんだぜ。聖杯を手に入れるためにな」
「聖杯……? 俺は、戦争を終わらせたいが、聖杯なんかいらないぞ」
「ふん。やはり甘チャンだな。その性根をどうにかせんと、お前は永遠に三流魔術師だ」
 ネプチューンマンはギターを置き、士郎の眼下に歩み寄る。
「ひとつ、面白い話をしてやろう。俺と同じ境遇の正義超人の話だ。ソイツは、魔界のプリンスと呼ばれる冷酷非道な悪魔だったが、正義超人の友情を目の当たりにし、一人仲間を振り切り出奔して、正義超人入りを果たした。そして正義超人対悪魔超人の最後の戦いが終わり。正義超人軍団は解散、男は魔界に戻り結婚し子をなし、息子を自分と同じ正義超人にしようと鍛え始めた。今、男はどうしていると思う?」
「息子を育てている最中か、それかもう育て終わって息子に正義超人の座を譲ったんじゃないか」
 士郎の希望ある答えを聞き、ネプチューンマンは高笑いし、話を続けた。
「ハハハーッ! 残念! 正解は、男は自分が正義超人であったことを後悔し、己の手で殺した息子を思い懺悔の日々さー!!」
「なんでさっ!?」
「耐えられなかったんだよ、悪魔の血に息子が! 息子は正義超人であることに苦痛を覚え、悪魔への道をこっそりと歩み始め、知って咎めた実の母を惨殺したんだ。そこまできて男はようやく気付いたのさ。悪魔は所詮悪魔、正義超人になどなれるはずが無い。息子が悪魔となってようやく、自分が現役バリバリの正義超人であった時に感じていたザラついた違和感の正体を知った、愚かな話だ! 男は母を殺した罪の清算として、息子を殺し。自分が間違っていたせいで妻と息子は死んだと懺悔の日々を送っている。正義なんてもんに憧れなければ、二人とも死なずにすんだとな。ハーッハッハッハー!!」
 絶望的な物語は終わりを告げ。同時に、この狂った特訓も終わろうとしていた。
「ウォォォォォォォ!」
 士郎はロープを己の力のみで引きちぎり、拘束から離れる。徐々に肌が黒くなっていき、髪も茶色気味の毛から白髪へと変色していく。その姿はまさにアーチャーそのもの。急激な変貌を遂げた士郎を見てネプチューンマンは満足げに叫んだ。
「そう、その正義感を一度全てとっぱらった姿が強者たるお前の姿だ! 衛宮士郎では俺のパートナーになりえない。だが、お前が英霊エミヤならば、俺とお前は戦争に勝利し聖杯を手に入れ、完璧超人界復興を成し遂げられる!」
「そうか、俺は、いや私の到着点はこの姿なのだな」
 口調までそのものとなった士郎、もといエミヤはゆっくりと立ち上がった。そこへ再び群がってくるコウモリ達。瞬時に投影された黒と赤の両刀が、獣と鳥の間に位置する中途半端な生き物をはっきりと一刀両断した。コウモリの死骸が周りに積もる。
「話は聞かせてもらったわ!」
 岩陰から飛び出してきたのは凛だった。この洞窟での特訓をいぶかしみこっそり後をつけて来ていたのだが、既に事態は最悪の方向へと進んでしまっていた。
「いままでよくも騙してくれたわね。完璧超人界の再興? そんなものに聖杯は使わせないわ」
「怒鳴られるとは心外な。君の死んだ相棒に再び会わせてやったのだ。少しは感謝して欲しいものだな」
「……どうやら交渉の余地も無い様ね」
「それはこちらも同じ事。オレの企てを知られてしまった以上、お前を帰すわけにはいかねえ。さあエミヤよ! ゴングが待ちきれんだろう!? これが英霊エミヤとしてのお前の初仕事だぁ―っ!」
 ネプチューンマンの合図を受けたエミヤは一瞬も躊躇せず、ゆっくりと将来の主となるべき女性に、切っ先を向けた。
 そして音が後をついて来るほどの速度で駆け――

「と、言う夢を見たのだが。どうなのだろうか」
「いや私に聞かれても。なんかその夢の展開だと被害者っぽい私に」
 ここまで書いて夢オチとかどうなんだろうかとか思いつつ、話は進む。
 場所は衛宮家の居間、居るのはネプチューンマンと凛のみ。イリヤは未だ起きないし、家主の士郎は土蔵でスクワットをしている。あの密閉された空間が簡易サウナとしてスタミナ系のトレーニングを行なうのに非常に良い。回数は関係ない、汗で足元に水溜りができるまで行なう。どこぞの蛇の穴を思い起こさせるハードさだ。
「まさか士郎本人に話すわけにもいかないだろう。そうなると消去法で凛しか居ないわけでな」
「まーそうなんだけどねー」
 昨日の夜に見たネプチューンマンの悪夢について凛は相談を受けていた。そもそもサーヴァントが夢を見るのかどうかという時点で検証が必要なのだが、サーヴァント本人が見たといっているからには見たとするしかない。
 ちなみに夢のこのあとの展開に関しては、ネプチューンマンは頑なに話そうとしなかった。ポツリと「残酷」とかの単語が飛び出たが気にしてはいけない。顔の皮が剥がれるとかあるわけ無いじゃないですか、ただヒロインとしてのチャームポイントであるツインテールが弾けとんだだけで。
「それにしてもアーチャー=士郎か。確かに、その辺りは納得できる話ね。言われてみればって前提だけど」
 士郎に見える投影魔術にに関しての才能のキラメキと、投影魔術をこれ以上ないくらいに戦いに組み込んでいたアーチャー。士郎という器の完成系がアーチャーであると考えれば、なんとかしっくり行く方程式だ。この方程式だと両者の性格や体格の差異についての補足が必要だが。体格は成長期、性格はこれから先の経験で十分に補完出来てしまう。英霊は、悲しい未来からも召還できるのだ。
「なぜか、あまりにリアルすぎてな。俺は正義超人だ。もう完璧超人からは足を洗っている、あんなセリフを吐くはずがない。なのに、あの洞窟の湿り気や、血の臭いを簡単に思い出せてしまう。あの夢は、リアルすぎたんだ」
 豪胆を地で行くネプチューンマンが珍しく落ち込んでいる。あの夢は今まで自分が築こうとしていたものが全て崩れ去る恐怖を孕んでいた。本音で言えば、あの冷淡にギターを弾いていた完璧超人が少し羨ましい。こう思うこと事態が恐怖だった。
「私はフロイトでもユングでも無いから心理学がどーのという話はできないけど、魔術師としてなら答えられるわ。一応の私の師父に関係した内容でもあるしね」
 凛は断りを入れてから、魔術師としての解説を始めた。
「平行世界って言葉を知っている? この世界は連なる世界の一つであって、同じような世界が平行していくつも存在する。貴方が見た夢はその平行世界で行なわれている事かもしれない。どこかの平行世界で召還された完璧超人としてのネプチューンマンの記憶を夢を通して見た。無理やり理由付けるならばそんなところかしら」
 凛の説明を聞き、ネプチューンマンが考え込む。突如、爆音が鳴り響いた。振動で、テーブルの上においておいた紅茶とプロテインミルクがこぼれた。

 一度敗れたその日から、ライダーというクラス名を捨て救世主(メシア)と名乗りライダーは主を救うべく奔走していた。
 だが、もうメシアを名乗っている場合ではない事を彼女は確信している。最後の戦いの火蓋が切られた。
 いつものボンテージファッションに眼鏡というちぐはぐな格好。いつもの眼帯である、自己封印・暗黒神殿はネプチューンマンと戦った際に、マスク狩りの憂き目に会ってしまった。
 戦いの気配は二つ、一つは衛宮邸から、そしてもう一つは柳洞寺から。どちらに行くか一瞬だけ思案し、仮初めの救世主という称号を捨て、ライダーは目的地へ走った。

 オメガマンによる柳洞寺急襲。門番のアサシンを連れに任せ、オメガマンはあっさりと内部に侵入した。竜牙兵も歯牙にかけず、キャスターを得意の変身術で翻弄し、オメガマンのハントは成功しようとしていたが、思わぬ強者に阻まれてしまった。 
 オメガマンのハイキックを、葛木の拳は容易く打ち落とした。蛇のごとき変則的な打法は、打ち落としの隙を逃さず、オメガマンの複数個所の急所を狙い打つ。人より強靭な身体を持っているといっても、急所は人と大差ない。オメガマンはたまらず一歩退いた。
「よ、読めない! なんだこの技は!? オメガメタモルフォーゼ!」
 急いで境内の屋根で寝ていたカラスを取り込み、翼を得たオメガマンは空に逃げようとする。しかし、蛇は退却を許さない。逃げた相手の尻尾に喰らいつき、食い殺さんとする生き物なのだ。
 独特の撃ち方で放たれる葛木の拳は、目測以上のリーチを持つ。蛇は空飛ぶオメガマンの翼を容易く穿った。ついでに喉仏に一撃を加える。
「グギャー!!」
 翼を失い叩き落されたオメガマンは、もんどりうちながら慌てて斜線の外へ退避した。広い超人格闘技と言えども、こういった真面目なタイプの武術に分類されるような技巧の業は少ない。数多の超人を葬った超人ハンターのオメガマンでさえ、このような業と対峙した経験は無い。それで、この体たらくである。
「宗一郎さま!」
「……大丈夫だ。お前はそこに居ろ。私一人の方がやりやすい相手だ」
 背後に居るキャスターの声援を受けた宗一郎は、再びオメガマンへと追撃を仕掛ける。しかし、その歩みは、思わぬ乱入により阻まれた。
 葛木の目の前に突き刺さる刀。刀身はバカみたいに長く、もはやここまでいくと滑稽なほどの長さ。この刀「物干し竿」を扱うような酔狂な剣士は一人だけ。
「こ、小次郎?」
 キャスターが己の従者の名を呼ぶが、返事は返ってこない。代わりに、一人の悪魔が姿を現した。かつて桜と呼ばれていた可憐な少女の面影は無い。悪魔は片手でぶら下げていたボロボロとなった小次郎を投げ捨て、キャスターへと襲い掛かる。
 自分が連れてきた連れの覚醒を確認し、オメガマンは笑った。
「ギャーハッハッハ! 目覚めたか、ついに目覚めたか。なら俺も奥の手を見せてやる。オメガメタモルフォーゼ・ファイナル!」
 オメガマンの体が変形し、ある人物の身体を真似る。これぞオメガマンが聖杯戦争勝利の秘策として用意したデーター。この秘策と、聖杯の出来損ないである桜の覚醒。これらが揃えば、負ける要素は無い。完全なる変身を遂げたオメガマンはキャスターを助けようと動いた葛木の背後を狙い打つ。
「地獄の断頭台ー!!」
 悪魔の大技が炸裂したのと、回避不能の銃弾が葛木を貫いたのは同時だった。時刻にして一時間弱の戦闘の結果、柳洞寺は悪魔により制圧された――

「大事な話があるので、俺が帰ってくるまでスクワットをしていろ」
 ネプチューンマンにこう言われて早数時間経った。足元は俺の汗で水溜りどころかプールだ。ちくしょう、あいつ俺のこと忘れてるんじゃないか?
 もうスクワットは止めてしまおうか。そう思ったときだった、土蔵の壁が破壊されたのは。
「うお!? スマン、サボる気は無かったんだ……?」
「……」
 転倒しながら謝る俺を見下ろしていたのは、俺のサーヴァントであるネプチューンマンでは無かった。てっきり俺がトレーニングサボろうとしているのを察知して殴りこんできたのかと。俺、何でマスターなのにこんな扱いなんだろう。
 壊れた壁の穴から入ってきたのは黒い甲冑の女騎士、目には風変わりなバイザーを付けている。黒地に血管を這わせたような赤の装飾というひたすらに趣味の悪い配色の鎧。だが、それを纏う彼女自身は、ひたすらに華奢で、そして美しかった。
 女騎士はバイザーを外し、素顔を露にする。まるで死人のようにうっすらと白い肌に、冷淡さしか感じられないような無感情な瞳。端正な顔立ちは美人の範疇に入るものなのに、彼女の顔を見ていると底冷えがしてくる。
「問おう――お前が私のマスターか?」
「は?」
 どこかで聞いたような騎士の問いかけを聞き、思わずマヌケな声を出してしまう。
「なに、これが正式な問いかけと聞いたものでな。セイバーとしての、な」
 初めてこの騎士の冷淡な顔に、ほんのわずかな愉悦の感情が見えた。