近世百鬼夜行~六~

 「この13番のオービスの写真おかしくね?」
「え? 先日の検査では異常ありませんでしたが」
「一応確認しておくが、オービスは通過車両の走行速度をレーダーで計測し、違反車両を撮影するってシステムだよな」
「ええ」
「13番のオービスは高速道路のだ」
「そうですね」
「なんで高速に原付が乗ってんだよ、しかもコイツのスピード100km以上になってんぞ!!」
「ええ!? そんな馬鹿な!!」
 その後、厳密な検査の結果オービスには異常が無いと判明し、件の写真は闇に葬られた。

 火車達に定宿は無い。日本をフラつきながら、適当に好き勝手に暴れる。これが彼らのライフスタイルだ。火車だけなら宿を取る事も可能だが、いかんせん輪入道達もセットとなるとややこしい。バイクらしく偽装することも可能だが、泊まるときぐらい開放的で居たい物だ。よって三人は寝るときは無人の空き家や廃寺を宿としていた。金が無いという切実な事情もあるが。
 今日も、人里離れた山奥のボロいお堂を宿にすることに決めた。警官が見回りをしていなければ街で野宿できたものを。眼下に見える人里の明かりが恨めしい。お堂の中に入れるのは火車だけ、バイクの前輪後輪に付いた輪入道は流石に入れないのでお堂の脇に止まるのだが。
「全く、原付だからってバカにしやがって。お前らが居ればサイクロンもあわやのスピードが出るってえのによー」
 ゴシゴシとバイクの車体を磨く火車、アニキと自分を慕う二人に対してきちんとした敬意を持ち合わせていた。三人の関係は単なる主従関係や上下関係では片付けられないものがある。
「兄貴、スイマセン」
「俺らがもうちっとちゃんとしていれば、とうにあのゴキブリもセブンとか言うヤツもアニキがボコボコ確定だったのに」
 セブンと火車の第一戦、確かに輪入道の暴走が無ければ違う結末を迎えていただろうが。
「……ま、それは気にするな。俺は寝るからよ、お前らも早く寝ろよ?」
 さっとワックスを塗ってから火車はお堂へと消えた、残された二人が恍惚としてその後姿を見送る。
「ううむ、気持ち良い。やはり体が綺麗になるというのは良い事だ」
「しかも兄ぃが磨いてくれたとあっては、俺らのエンジンもクライマックスだな前輪の」
「うむ、後輪の。上に立ち偉ぶるだけなら猿でもできる、我らのような立場の下の人間にも侠を持って接してくれる」
「しかも人格だけでなく兄ぃは強いし、次ぎ奴らに会ったときは邪魔しないようにしようぜ」
「我らが粗相をしなければ、すでに二人とも兄貴がのしていただろうに」
「だが、そんな俺らの失敗も兄ぃは責めなかったな」
「全く、大きなお人だ。我ら兄弟は本当に幸せ者よのう、後輪の」
「おうさ前輪の!!」
 ガハハと豪快に笑う、輪入道兄弟。神が火車を処せと世界に判決を下したとしたら、彼らは喜んで世界を敵に廻すだろう。二人はこれ以上無いほどに長兄に心酔しきっていた。

 お堂に入った火車は義弟達とは対照的に不機嫌に寝転ぶ。枕元ではお堂で祭られている閻魔像が雄雄しく吼えていた。職業柄折り合いが悪い閻魔の足元で寝るのは気持ちの良いものではないが、ホコリをかぶったボロボロの姿なのは気持ち良い。いったいどれだけこのお堂には人が入っていないのか。
「邪魔が無ければ勝ってたか……」
 セブンとカマイタチの戦いを最後まで見届けることは無かったが、凄まじい死闘だった。勝敗の確認もしていないが、なんとなしにセブンが勝ったであろう事を火車は感じていた。だいいち、そうでなければ面白くない。
だが――
『オマエじゃあ、あの二人には勝てない。そう言って欲しいんだろ?』
「!?」
『そう驚くな、俺はオマエの味方さ』
 魂に直接語るような声、それは枕元の閻魔像から漏れていた。目が禍々しく輝く様は明らかに全うに祭られていた物ではない。この閻魔像は、何かを封印するために作られたものだ。
「テメエ、何者だ!」
『俺は。いや、俺達は炎さ。禍々しいなあ』
「なるほど、閻魔像の中に封じられていたヤツが像自体がボロボロになって這い出てきやがったか」
『それだけじゃあ無理だ。アンタも火を司る妖怪だろ? アンタに反応して、俺達は起きた』
 妖怪ではない、むしろ死霊に近い波動の持ち主。だが純然たる幽霊でもなさそうだ、やっかいな物をどうやら起こしてしまったらしい。閻魔像から漏れてくる黒い炎、こんな炎は火を操る火車でさえ見た覚えが無い。
『俺達はアンタみたいなヤツを待っていた。どうだ、俺達と手を組まんか』
「はん、冗談じゃねえ。ワケもわからんやつと組むほど追い詰められちゃいねえよ」
 火車は手を振り背中を向ける。こんなんを枕にするのなら、外で寝たほうが遥かにマシだ。
『俺達はなんでも知っている……アンタが内心、あの二人には叶わないと思った事もな』
 この言葉は、火車の足を止めるに十分値するものだった。

 カマイタチとセブンは互角の死闘を繰り広げた。だが、自分は生命力だけがとりえのGと、攻める技を持たないカミキリに不覚を取った。確かに腹をチェンソーで抉られた後遺症もある。しかし、もしカマイタチが逆でそっくり同じ立場ならば、多分不覚を取ることはないだろう。あの全身殺意の塊の女と、山で純粋に己を磨いてきた侍とは確固たる差が……
『認めろよアンタ、俺と組めばあの二人を越えられるぜ? 俺のトコに来たのも一つの縁よ、な、組もうぜ』
「……傷を治して再戦するつもりはあるが、テメエなんかの力を借りる気は無え!!」
『で、負けると。負けたお前を見て、義弟達はどう思うだろうなあ、弱いアニキを見てよお?』
「チッ」
 この黒い炎は、火車の弱いところを的確に突いて来る。輪入道たちは火車の事を心底信じている。もはや盲信に近い、憧れ。彼らが、実は自分があの二人に劣ると知ったらどう思うか。少なくとも良い結果にはなるまい。例え自分がどうなろうとも彼らを裏切ってはならない、それが己を慕うものにできる最大の報い。
『だから俺達を受け入れろ。俺達とオマエが組めばもはや恐れるものは無い』
 黒い炎が一層燃え上がる。炎の揺らぎは人を惑わす揺らめき、炎の色は人を狂わす色、炎の声は人を誤らせる声。
 閻魔像が裂け、中から小さな珠が転がり出てくる。コロコロと珠は転がり火車の足にぶつかり止まる。珠から溢れる黒い炎、これが禍ツの正体か。
 炎は伸び上がり、火車の左目に喰らい付いた。眼球が喰われ、出来たスキマを炎が侵食していく。
 狂いそうな痛みを与えられた、火車の叫びが辺りに響いた。

 お堂から聞こえてくる声を聞きつけ、前輪の輪入道が眠りから覚める。
「起きろ後輪の!」
「ぬう、もう食べられぬ……」
「貴様が寝言を言おうとも萌えぬわ! 起きろ!」
「どうした前輪の? トイレか?」
「ふざけている場合ではない、いまお堂からアニキの叫び声が聞こえたぞ!」
「なんだと!? それを早く言わんか! ま、待て前輪。お前は耳はいいが目は悪いのか!?」
「ぬ? お、おおう!?」
 輪入道達の周りを囲む、無数の骸骨。カタカタと歯を鳴らしながら、今にも襲い掛からんとしている。一匹の骸骨のあばら骨が一本落ちた瞬間、骸骨は一斉にバイクに向けて踊りかかった。
「後輪の!!」
「おうさ前輪の!!」
 まるでそれは専門のスタントマンが乗った動きの様。後輪の輪入道が跳び上がり、前輪の輪入道はしっかと地面に付き大回転する。バイクは360度回転し、骸骨達を後輪で次々となぎ倒していく。縦横無尽に動くバイクはもはや凶器。火車と組んでいると目立たないが、彼らとて十分に強いのだ。
「しかし誰の差し金だ?」
「さあな。だが、我らの相手ではないどんどんと来い!!」
「ちょうしに乗るんじゃねえぞ、車輪の枠どもがあ」
 骸骨を蹴散らしながらの前輪の問いに、答える謎の声。突如現れた何者かが、骸骨ごとバイクを蹴り飛ばす。車体は大きく吹き飛び、近くの木に激突した。
「ぐふふ、ひさしぶりだなあ。輪入道兄弟」
「お前は……」
「モウリョウ!! 貴様が何故こんなところに!?」
 黄土色の瞳になんでも丸呑みできそうな大口、赤黒く全身を覆う体毛、彼は名をモウリョウ(魍魎)と言う。墓を荒らし亡骸を喰らうと言う点では、葬儀会場から死体を奪い取る火車に似通っているが、モウリョウと火車の仲は最悪に近かった。なにせ葬儀会場で死体を奪うと言う時点で、埋葬後に死骸を喰らうモウリョウより火車が先んじている。幾度か彼らは獲物がかぶっており、その際どうしても火車が先んじていた。結果、モウリョウは火車を恨んでいる。一方火車もモウリョウから放たれる腐臭のごとき死臭や、時に生きている人間を襲う節操の無さを嫌っている。お互いが嫌いあい所業が似通いながらも、二人の仲は最悪だった。
「なあに、火車の調子が悪いと風の噂で聞いてなあ。トドメをなあ」
 気色悪い笑い声を漏らしながらモウリョウ(魍魎)が喋る。火車とモウリョウは幾度か小競り合いしており、いつも実力伯仲の引き分け。もし、本調子でない火車とモウリョウが対決すれば十中八九モウリョウが勝つだろう。
「貴様、プライドは無いのか!?」
「そんなもんとうに捨ちまったよ、グフフ」
「兄ぃはやらせねえ!!」
「邪魔だあ」
 モウリョウの口から吐き出される、白骨が混ざった胃液。強烈な酸と硬い白骨の濁流に飲まれ、バイクの車体は滅茶苦茶となった。輪入道達自体も完全に臭気と痛みで気を失っている。
「グフフフー火車ぁ、モウリョウがお前をやっつけにきたぞお」
 お堂に歩み寄るモウリョウ、だがお堂にたどり着く前に扉が勢い良く開いた。うつむいた火車が猛るモウリョウを迎える。
「ホントに弱まってるみてえだなあ。グフフ、お前の死体は喰らってやるぜえ」
「……」
 モウリョウのあからさまな挑発だが、火車は無言を貫き通す。普段ならば挑発した相手の想像以上に熱くなる男なのに、何故か今回は一切挑発に乗ってこない。逆にモウリョウの頭に血が上る。
「どうしたあ? ビビっちまって言葉も出ねえのかあ!?」
 もはや語る言葉も無いとモウリョウは白骨胃液を吐き出す。火車は何もしない、だが左目から溢れ出た黒い炎が火車を襲う濁流の全てを喰い尽くした。黒い炎は荒れ狂い、モウリョウにも襲い掛かる。モウリョウの右腕があっと言う間に喰われた。
「うわわわあ?」
「ビビってねえよ……むしろお前がビビってんじゃねえか……」
 絶叫するモウリョウに応えたのか、ようやく火車が口を開いた。うつ伏せにしていた顔が漸く上げられる。火車の左目から溢れ出る黒い炎が、その禍々しいゆらめきを一層激しくする。
「こいつは素晴らしいぜ、こんなハイテンション久しぶりだ。これなら誰にも負けねえ。セブンよ待ってな、ぶっ殺して死姦してやるぜッ!!」
 火車の右目にまで映る黒炎。黒い炎は、モウリョウの体に襲い掛かりあっと言う間にズタズタに引き裂いた。

 前輪の輪入道が起きた時、辺りに他人の気配は無かった。バイクは完全に壊れ、自分達もそこらに投げ出されている。後輪の輪入道も隣に転がっているが、意識は無いものの命に別状はなさそうだ。ならば次に心配すべきは。
「兄貴!! 兄貴ー!!」
 火車の寝ている筈のお堂に転がっていく輪入道。途中、なにか大きな物体につまずき転倒してしまった。
「なっ……!?」
 物体の正体はモウリョウの下半身。夜目に慣れ辺りを見回せばズタズタに引き裂かれたモウリョウの体がそこかしこに散らばっている。死に際のモウリョウの表情を写した欠けた頭部は、驚愕に目が見開かれていた。
「あ、兄貴?」
 状況から考えて火車がモウリョウを倒したのだろうが、あまりに残虐すぎる。喧嘩の類は好きな火車だが、虐殺を好む男ではない。そもそもモウリョウは火車と互角に張り合える実力者、ここまで一方的にズタズタにされる物なのか。
「兄貴、返事をしてください、兄貴ー!!」
 輪入道が辺りを探し廻るが火車どころか生き物の気配さえ無い。麓の街が見下ろせる場所に着いた時、輪入道は驚愕に目を見開いた。
「も、燃えている、のか? あれは」
 思わず疑問符が浮かぶ。単に燃えているだけならば街は紅い筈、眼下の街は燃える紅と荒れ狂う黒のうねりに蹂躙されていた。