オーバー・ペネトレーションズ#3-5

 クイックゴールドが、ホワイトハウスの大統領寝室を始めとした、各国首脳の寝室を数分で回り切った時、彼は人類の頂点に立った。地球上に居る限り、誰も光速の男から逃げ切ることは出来ないのだ。
 最速の男の主な要求は、ただ一つ。自分に、何の干渉もしないこと。他にいくつか些事はあったが、それは大したことではなかった
 世界を屈服させたクイックゴールドは、ウェイドシティ市庁舎を住処とした。最初の頃は忙しなく動いていたが、最近はトレーニング場となったラーズタウンの跡地にも出てこない。彼はずっと、改造された市庁舎で、全世界に睨みをきかせている。彼は特に何も言わない。市庁舎脇の巨大な石像も、部下の一人が勝手に作った物だ。
 そんな巨大石像の足元で、長らくこの街で起こっていなかった喧騒が沸き上がっていた。昔は、毎日のように聞こえていた喧騒が。

 お揃いの防護服を着た、クイックゴールドの部下が次々と倒れていく。決して倒れそうにない大柄な隊長格も、金的、鳩尾、喉仏の三連撃で崩れ落ちる。続けざまに投げられた羽根手裏剣が、複数人を壁や地面に縫い止めた。彼女が何かする度に、集まってきた野次馬から歓声が上がる。
「こういう派手な戦いは、どうも久しぶりだ」
 影から影に渡り歩くのが、本来のオウルガールのやり方なのに。ボヤきながらも、また一人眠らせる。
 ウェイドシティには、ラーズタウンから流れこんできた住人も多い。虐げられ続けた彼らにとって、守護者であるオウルガールの帰還は、待ち望み過ぎた物であった。張り裂けんばかりの声で、オウルガールの名前を叫んでいる。
「俺は何時ものことだけど……この戸惑いはどうにもねえ」
 バレットボーイは、市庁舎から出てきた増援すべての武器と装備を瞬時に奪い取って捨てた。
 オウルガールは皆に受け入れられているが、ボーイに対しては敵も第三者も戸惑っている。何故クイックゴールドが、昔のタイツを着て暴れているのか。主に手を出してもいいのか、声援を送ってもいいのか。戸惑いの中を、ボーイは駆けまわる。
「さっき、流れ弾から子供をかばったら、石投げられた。あっちじゃ、チャンプなのになあ」
「チャンプ?」
「一気に頂上まで駆け上がるとか、そっちがいつもやっているように、影でコソコソとかじゃダメなんですかね!」
「一度私のやり方について、キッチリ話しあう必要がありそうだが……。今回は、こうやって我々の活動を周知せねばならない。それに短期決戦には、派手さがどうしても付きまとう」
 ボーイにかき回された敵陣を、続けざまにオウルガールが崩す。二人が背中合わせに立った時には、動ける敵は誰も残っていなかった。市庁舎からの増援も止んだ。代わりにやってきたのは、けたたましくサイレンを鳴らすパトカーだった。複数台のパトカーから降りてきた警官たちは、動けぬ手下たちを踏み越え、ボーイとオウルガールに銃口を向けた。
「どういうことだよ!?」
「驚くな。この世界は既に、ゴールドに従属した世界。警官が私達に銃を向けるのは必然だ。彼らは、あくまで職務に忠実なだけ。戦闘力を奪った上で、後遺症は残さない。このような、繊細な花を扱うような気遣いが必要だ」
「それはまた、実にめんどくさい……」
「デビュー当初は、私もよく警官とやりあったものだ。世の中、経験だよ」
「経験したくねー!」
 まずは拳銃を奪い取る。ボーイが足を踏み出すより早く、警官が凍りつき、パトカーが爆発炎上した。凍結と豪炎の中心を通り、一人の少女が戦場に足を踏み入れた。
「まだこんなところでグズグスしてたんですか? あんまりに遅いので、様子を見に来ました。ご心配なく。これでも生きてますから、警官」
 アブソリュートにとっての警官とは、繊細な花ではなく雑草だった。
「いやお前、一緒に帰るつもりなのかよ? 連れションじゃあるまいし」
「転移装置が、そう何度も動くものじゃないからです! あなたをこの世界に置いて行ったら、キリウに殺されますからね。それより、何故オウルガールがここに? 多少コスチュームが違うようですが」
 この世界のオウルガールが生きていたのか、それとも実は最初からこの世界に招き寄せられていた、自分の世界のオウルガールなのか。ここまで来ても、タリアがオウルガールとイコールで繫がらない辺り、余程二人のイメージはかけ離れているらしい。
「いやー、それはね」
「どの世界だろうと、私は私だ。貴様の敵であることは代わりない」
 フォローしようとしたボーイを押しのけ、オウルガールはアブソリュートを睨みつけた。アブソリュートも当然睨み返す。わずか数秒の睨み合いだったが、間近にいるボーイには丸一日よりも長く感じた。
「いいでしょう。あなたは本物の、わたしが知るオウルガールです。今は細かいことに言及しません。では、市庁舎に火をつけるので、邪魔にならないところに引っ込んでいてください。羽に燃え移って、泣き叫ばれても困りますし」
「そうだな。今日は敵対する必要はなさそうだ。私とボーイの指揮下に入るのであれば、ブタ箱入りは勘弁してやろう。こちらの世界のブタ箱は、きっと過酷だぞ」
 和解した筈なのに、なんでこう、会話が殺気立っているのか。
 ボーイは目立たぬように、市庁舎入り口へのルートを探った。この二人を放置して、逃げる腹づもりだ。
「そっちは燃える予定の建物ですよ~。中に入ったら、一緒に燃やしますよ? 邪魔しないでくださいね」
「どうやら、バレットはミスを犯したらしい。ゴールドを止めるのには、二人で十分だったのだ。此処から先は、この我々の世界の恥を、倒してからだ。協力してくれるな?」
 しかし、逃げられなかった。しかも、数秒で事態が和解どころか、一番槍を競いあう事態になっている。俺だけ呼んでくれれば良かったのにと、ボーイは従兄弟の不明を恨む。
 恨みながら、背後に迫っていた飛来物を振り向きキャッチする。銃弾並みの速度で飛ぶ硬貨も、超高速の前では止まって見えた。
「って、硬貨!?」
 こんな物を複数、弾丸並みの速度で飛ばす人間など、何処の世界にもおそらく一人しかいない。
「どうも、彼も光速の世界の住人のようですな」
「ちげえねえ。でもボスは、上にいる。ってことは、アイツ誰だ? それに、隣の女どもも。アブソリュートもオウルガールも、死んだって聞いてるけどな」
 小銭をチャラチャラと、手で遊ばせる紳士。金属製の身体を揺らす、粗暴な男。この金属音の二重奏、それぞれの曲には聞き覚えがあった。
「アイン! マネー・セント!」
 暴虐の機械アインと偏執の硬貨愛好家マネー・セント。二人の巨悪が、市庁舎前に並んで立っていた。アインはピカピカ、セントの服は仕立て良し。自分たちの世界の二人よりも、少しイイ格好をしている。
「なるほど。これがわざわざ、三人もゴールドを倒せる可能性を呼んだ理由か」
「この難物二人が、まさか従う側に回っていたとは。従わせたゴールドに感心します」
 オウルガールとアブソリュートも、新たな敵を目の当たりにし、終わらぬ睨み合いを止めた。
「此処から先、通すわけにはいかぬのだよ!」
「的にゃあ、ちょうど良さそうな連中だぜ」
 悪党二人が出てきた市庁舎の入り口に鉄の扉が降りてくる。この二人を倒すまで、先には進ませない。そういう趣向なのだろう。
「先に行く!」
 それだけ言って、ボーイは駆け出す。ボーイの足ならば、なんとか間に合うタイミングであった。
「行かせぬよ!」
 セントが動くが、ボーイはすれ違いざまに、先程掴まえた硬貨を、セントめがけばら撒いた。セントはあたふたと、大事な愛する硬貨を拾い始めた。
「しゃらくせ……エエッ!」
 アインも当然動くが、首筋に刺さった羽根手裏剣のせいで、動きが止まってしまった。羽根手裏剣は、アインの配線を一部断っていた。
「駄目だ、間に合わない!」
 ボーイの足をもってしても、ギリギリのところで、間に合いそうにない。アインとセントが居なければ。扉はもはや、ただ走っては入り込めないぐらいに狭くなっていた。
「滑って!」
 アブソリュートの声を聞き、ボーイはスライディングで扉に突っ込む。入り口周辺の地面が凍っていたおかげで、なんとかボーイは市庁舎内に滑りこむことが出来た。
「テメエ、死んでもそのチンケさはなおらねえんだな!」
「お前のバカさも、治りそうにないが」
 機能を回復させたアインのブレストランチャーが、オウルガールが先ほどまで居た場所を灼いた。
「はてそちらは……しばらく見ない内に、正義に鞍替えしたのですかな?」
 セントの周りを、硬貨で作った獰猛な獣が複数匹彷徨いている。
「わたしの敵は、バレットボーイ。ならば、彼に従うあなたは敵です」
 鉄の獣が一匹、牙を剥く前に燃え尽きた。

 階段をもつれて転がる、手下たち。市庁舎内部には、もはやバレットボーイを止められる者はいなかった。勢い任せに駆け上がったボーイは、最上階に辿り着く。
 最上階のフロアにポツンとある玉座。大仰に足を組んで、自分に良く似た男が、玉座に座っている。まだ輝きがないからいいものの、あの金色のコスチュームがもしキラキラと光っていたら、卒倒物だ。黄土色レベルのゴールドで、よかった。
「来たか。同じ足を持つ迷人よ。貴様の正義、この我に見せつける気か?」
 玉座の背を多い、立てば床につく青いマントを引きずりながら、ゴールドが立ち上がった。
「枯れたものと滾るもの、どちらが正しいのかは戦で」
「いやー!」
「グホォ!?」
 もう、コレ以上の厨二病には耐えられない。しかも病んでいるのは、自分そのもの。空気をぶち壊すボーイの一撃が、ゴールドを再び玉座に殴り戻した。
「ホント、マジで止めてくれ。何があったのかは全部聞いてないけどよ。いくらなんでも、自分のそういうところを見せつけられると……死にたくなる」
 ボーイは自らマスクを脱ぎ、ノゾミとしての素顔をさらす。ゴールドは少しだけ驚いた後、自分のマスクも剥いだ。出てきた顔は、当然スメラギ=ノゾミの顔であった。ただし、顔には深い傷が幾つも刻まれている。彼の恵まれず、熾烈な生き様が浮き彫りとなっていた。
「昔、平行世界への転移装置を巡る事件に関わったことがある。あの時は、作りかけの所で破壊したが。まさか、アレが本当に完成するだなんてな。当時は夢物語だったのに」
 ゴールドは、青いマントを外し、立ち上がる。彼の豪華かつ見栄えだけのマントと共に、言葉からも余計な装飾が消えていた。彼なりの、ボスらしいカッコつけだったのだろう。
「いいんじゃね? 完成したことで、お前のバカを止めるお前が、こうして来たんだ」
「言ってくれるじゃないか」
「ああ言うぜ、ハッキリと。ぶっちゃけわりと今は、歪んだお前はどうでもいい」
「ほう。そんな所まで同じか」
「所詮、分からねえし。お前の辛さとか」
「ああ。似たようなことを、俺も昔言ったよ」
「でも、この世界は辛い。見ていて辛くなる。間違っている」
「なら、どうする気だ? 俺を殴るか? 叩きのめすか?」
「いいや。違うね」
 支配も正義も、今の二人の間には存在しなかった。
「俺達にあるのは、速さだけだ。なら勝負は当然、速さ比べだろ」
「おいおい。辛さは分からないのに、そういうところはわかってるんだな」
「お互いにな」
 ボーイとゴールドの心は、同じであった。お互い、それぞれの世界で最速となった男。最速の冠は、果たしてどちらの方が輝いているのか。
この子供じみた根っこは、ヒーローとして成長しようと、悪役として君臨しようと、変わらなかった。お互い相通じ合う者同士で、ようやく外にこの感情を発散することが出来た。
 ならば後は、好きなだけぶつけ合えばいい。
 お互いマスクをかぶり直し、じっと待つ。外で起こったなにがしかの爆発が、丁度よい合図となった。
 弾けるように飛び出す両者、光速の乱打が二人の間で数百、数千、幾度も交わされる。部屋を移動しながらの戦いは、直ぐに限界を迎えた。壁がはじけ飛び、二人は空に投げ出される。
 彼らにとって、ビルの壁面は地面同然であった。ビルを垂直に駆け下りながら、ボーイとゴールドは横並びで競い合う。溶けた硬貨を蹴散らし、アインとオウルガールの間をすり抜け、野次馬を飛び越え。数秒後には、街から飛び出し。
 特上の速さを持つ二人の男の舞台には、銀河とて狭い。彼らは仕方なしに、地球中で妥協した。