オーバー・ペネトレーションズ#1-1

 巨大な人型ロボットが、街で暴れていた。
「ガハハ! いくら最速でも、俺様のレーダーはアップグレード中だ! 見ろ、段々追えるようになって来たぞ!」
 機械らしからぬ我に満ちた声を出し、右腕に装備されたガトリングガンを乱射するロボット。射線は、ロボットを囲むように動く光の軌道を追っていた。光は、輪を描くようにロボットの周りを回っている。輪の先端に、銃弾は徐々に追いつこうとしていた。
 ロボットは自身のセンサーの確かさを信じきり、光を撃ち殺そうとしている。だが実のところ、センサーが優秀だから、光を追い詰めているのではない。包囲の輪が、一周ごとに少しずつ狭まっていて、狙いやすくなっているだけだったのだ。
「ウオオオオオオ!? 目が! 目がぁ!」
 ロボットが気づいたのは、輪が肉薄し、自身に手をかけた時だった。輪と共に、光速で回転させられるロボットの身体。数分後、ドクロに似た機械の頭がショートを起こした所で、ロボットはようやく回転から解き放たれた。ランプ状の目を点滅させている部分以外、全てが機能停止状態だ。
「センサーをアップグレードするより、バランサーをアップグレードすべきだったんじゃない?」
 最新の身体と最低の性根を持つ機械の犯罪者を制したバレットは、自身を撮るTV局のカメラに、サムズアップと笑顔を向けた。

 明るいヒーローであるバレット。だがその明るさは時折、馬鹿らしさにも見えてしまう。
「こんなことするから、バレットにはシリアスさが足りないんだよなー。俺の好みはもっと、真剣で……。例えば、オウルガールみたいなね」
 ウェイド・HSの教室で自主開催された、放課後の上映会。自他共に認めるヒーローマニアである、ナカモト=ウシオは、このニュース映像をリクエストしてきたクラスメイトに感想を求めた。ナカモトの家には、この様な記録映像が大量に保管されている。
「あの人は逆に真剣過ぎる……いや、なんでもない。ありがとう、参考になったよ」
「参考? まさかお前、このロボット。アインと戦う気かよ? いや待てよ、アイツ、カテゴリーとしてはアンドロイドなのか?」
 一見ロボットに見えるものの、この鉄人形、アインは元人間であった。既に残っている部分は脳ぐらいしかないが。
「あ。いや。ひょっとしたら、ほら、俺がアイツを倒してヒーローに!なんて夢を見てさ!」
「そりゃ夢だね。確かにアイツは今、修理を終えて街で暴れているけどさ。能力も何もないヤツが勝てる相手じゃない。アイツは、マジでヤバい。見ただけで、撃ち殺されそうだ。見るどころか、そんな冗談だけでも」
 ナカモトはポータブルプレイヤーを操作し、アインがガトリングガンを振り回しているシーンを再生する。鋼鉄の身体と様々な内臓火器を持つアインは、トリガーハッピーな思考も合わさり、ウェイドシティ屈指の危険で迷惑な犯罪者だった。
「そうだな。アインは危ない」
「俺にヒーローになれるような能力があれば。せめて、オウルガールが来てくれればねえ。バレットはいねえし、バレットボーイはあっさりアインに負けたみたいだし。所詮ボーイって奴か」
「そうだな。あいつは所詮ボーイだよ……いつっ」
 ナカモトと一緒に苦笑しようとするものの、頭の傷が痛んだせいで笑えなかった。ノゾミは思わず、包帯の上から傷口を押さえる。笑えなかった理由は、それだけではないが。
「おい。大丈夫かよ。ウチのクラスの天才サンなら、その怪我をダシに、一週間は学校来ねえな。俺も、それくらいケガしたら少なくとも2日は休むけど」
「あの娘ほど、成績良くないんでね。全国一位だろ? それぐらいのワガママ、通せるって」
 身体の至る所に絆創膏や包帯を付けたノゾミを、ナカモトは心配してくれた。
 多少周りが見えなくなることがあるものの、ナカモトはいい男だ。転校してきた自分にも分け隔てなく接してくれ、おかげで転校生のノゾミはすんなり学校になじむことが出来た。
 ヒーローマニアで、いい男で、やる気もありそうだ。こういう男に自分が持つような能力は授けられるべきだと、ノゾミは半分本気で思っていた。
「家で寝てると、学校に来るより疲れるんだよ。ありがとな、なかなか面白い映像だった」
「そう言ってくれるだけで、ありがたいぜ。なにせ俺は、この街一番のヒーローマニアだからな。よって、意に沿わぬことながら、街一番のバレットマニアでもある。あんま好きなタイプのヒーローじゃないけど」
「そうかよ」
 ナカモトの自慢を、ノゾミは聞き流した。おそらく、街一番のヒーローマニアであることは、疑いようがない。と言うより、ノゾミは決める立場に無い。
 だがおそらく、街一番のバレットマニアは、別にいる。むしろ、一番と認めてやらないと、面倒くさい連中がいる。
 彼女らなら、資料どころか詳細な作戦データーまで持っていそうだが、流石に頼るわけには行くまい。

 サムズアップを馬鹿にする人間もいれば、見惚れる人間もいる。明るさとは扱いが難しいものである。
「やっぱバレットはいいねえ。なんでいつも、とっさにあんなことを思いつくのよ?」
「当然だ。拙者が唯一追いつけなかった男だからな」
「ラーズタウンに出張して、オウルガールに負けたって聞いたけど?」
「アレは女だ!」
「はいはい。バレットはいいけど、ボーイはよくないねえ」
「未熟、の一言に尽きる」
 マイスターとキリカゼの二人は、モニターを机の上に置き、二つの戦いを比較検証していた。一つは数年前のバレット対アイン、もう一つは昨日行われたバレットボーイ対アインだ。
 鉄であるアインの身体を、ボーイは乱打する物の、速度だけで鉄は砕けなかった。拳を痛めた挙句、強烈な一撃をくらっている。
「こそ泥がとある兵器工場に侵入したものの、警備員に見つかって追いかけられ、慌てて逃げこんでしまったのは、生産工程のライン。ラインに逃げ込んだこそ泥は、工場の機械により、無機質扱いされた挙句、散々に身体をぐちゃぐちゃにされて。警備員がラインの終点で見たのは、様々な武器を身体中に埋め込まれた肉塊。それでも二本の足で立つ、肉塊だった。常軌を逸した肉塊は、警備員を殺害し、再びラインへ。何度も往復した肉塊は、肉と鉄の塊になっていた。鋼鉄の身体と武器を持つ、アインの誕生である」
 一人、新聞を読むアブソリュートは、欄外に記載されていたアインのオリジンを音読した。ファクターズの三人は、アジトに集結していた。
「どこの新聞記者だか知らないけど、よく調べているね」
「拙者は初めて聞く話だが、想像するに悲惨な話だ」
「このまま、世を儚んで自殺してくれればよかったんですけどね。アインは人を超えたことを自認してしまい、犯罪者の道へ。バレットと何度も戦い、最終的には頭だけの状態で研究所に保管される事になったのに。一体誰が、彼を開放して、新しい身体を与えたんでしょう?」
 アブソリュートは、二つのモニターをどかした上で、新たなモニターを机の上に置いた。新たなモニターが映しているのも、バレットボーイ対アインの映像だった。
「別アングル?」
「いや。アングルどころか、場所が違う。ついでに、ボーイの傷も多い」
 先程までの映像では、路上で戦っていたのに、今度の映像は室内、壊れたショーケースに並んでいる物から見て、宝石店の内部だ。
「リアルタイムの生中継です。ちょっと防犯カメラをハッキングしてみました」
「さすがは天才児、何でもアリ」
「えっへん、なんてね。もっと褒めてください」
 マイスターに褒められ、アブソリュートは胸を張った。
「そんな事よりも、映像に集中しろ。想定以上に、これは危険な状態だ」
 キリカゼが二人を促し、三人は揃って映像に注目する。アインの両目からのレーザーが、光速で走るボーイの肩に少しカスった。
「ありゃ。当たっちゃったよ」
「あの目からのレーザーは、前のアインには装備されてませんでしたね」
 傷のせいで、スピードが落ちたボーイめがけ、アインはガトリングガンを向ける。ガトリングガンも、実弾式の物から、最新のレーザータイプへと換装されていた。光熱弾を乱射するアインの周りを、ボーイは円の軌道で回る。
「あれは、ひょっとして!?」
 マイスターは、どかされたモニターを、生中継の隣に戻す。過去の映像では、同じように走るバレットが、今より型の古いアインの周りを、同じように走っていた。
 まるで、再現映像のようなボーイの動き。不思議なことに、アインの動きも過去のままだった。過去と同じように、射線が光速の足に追いついていない。無様な焦り方も、同じだ。
「どう思う?」
「アインはゲスですが、そのぶん狡猾でもあります」
「さっきの目からのレーザーなら、とっくに狙い撃ちだしねー」
 三人の意見は、一致していた。
 アインを囲む軌道の輪が縮まり、アインを飲み込むものの。
 アインは回らなかった。機械の身体に、ただしがみつく形となったボーイを襲う電流。電撃がボーイの身体を焼いた。
「ああっ! 早く逃げないとダメです!」
 慌てふためくアブソリュートの声が聞こえたかのように、ボーイはアインから離れていた。特性のコスチュームに傷はないものの、ボーイ自身が激しく消耗したことは、容易に見て取れる。現に自慢の足も、光速から音速のレベルぐらいにまで落ちている。
「危なかったねえ」
「うむ。だが、あれだけの愚策を行なって、生きているだけで行幸。一度敗れた相手が、自身が敗れた決定的な理由に、対策を講じていない筈がない。反撃を必殺の域にまで研ぎ澄ませていなかったアインの甘さに救われたような物よ」
 いくら独創的な手段でも、独創的なのは一度目だけだ。二度目からは、単なる奇抜な手段へとランクダウンする。場合によっては、単なる愚策だ。バレットが独創的だと褒め称えられる理由は、毎度毎度、独創的な作戦を思いついていた所にある。それに彼は、既存の作戦の使い方も上手かった。少なくとも今のボーイのように、真正直に同じ作戦は使わないだろう。
「脚部にワイヤーアンカーを装備し、打ち込むことで身体を固定。前回と同じ手で敗れぬための、対策ですね。その上、どうやらセンサー類だけでなく、バランサーも劇的に強化されているようです。もはやコレは、アインⅡと呼んでも差し支えのない改造度です」
 プロフェッサーと呼ばれているだけあって、アブソリュートの分析力は的確かつ正確であった。彼女の知識量は、漫画やアニメの博士のように、どんなトラブルやアイテムにも対応出来るだけの物がある。
「それだけの改造ができる人間は、そう多くないんだろうねえ。復活後のアインが現金輸送車襲撃や宝石強盗のような、金の絡むことしかやっていないのと絡めると……中々、面白そう♪」
「少し、調べを進めてみるのも悪くない。最悪、アインと刃を交えることがあるやもしれないな?」
「わたしとキリカゼさんなら、問題ないでしょう。マイスターさんは、アインと会ったら逃げてくださいね」
「えー」
「聴覚回路を遮断されたら、音を武器として使う人はアウトじゃないですか」
「音の可能性は無限だと言うのが、マイマスターの口癖。当然、あたしも同じこと思ってるよー? 相手に干渉するだけが、手段じゃないってね」
 ファクターズは、犯罪者集団としての活動を開始しようとしていた。全員、あれだけ強化されたアインを相手にしても平気だという自負に溢れている。
「我々の動きは決まったとして。此方はどうする?」
 打ちのめされて逃げるボーイと、やって来た警官を蹴散しながら宝石をあさるアイン。バレットボーイ対アインの第二戦も、アインの勝利で終わった。これでボーイは、二連敗だ。
「放っておきましょう」
 アブソリュートは冷たく言い放った。
「敵であるわたしたちが彼に出来ることは、本来有りませんから。このまま負け続けるのであれば、それは仕方のないことです。例えそれで、コスチュームを脱ぐことになったとしても」
「同感だ。バレットの名称を継ぐのに、彼はふさわしい男でなかった。それだけだ」
「光速なだけあって、名前が消えるのも速かったねえ」
 マイスターとキリカゼも、アブソリュートに同意した。
「でも……うっかり、第三戦の現場に遭遇して、アドバイスなんてものを飛ばしてしまってもしょうがないですよね?」
「ボーイに肩入れするのは当然だ。アインの方が、現在強敵。弱い方に肩入れして、強い方を倒そうとするのは、第三者として全く間違っていない。兵法としても正しいことだ」
「はいはい。せめて、直接の援護だけはしないようにしましょうねー?」
 遠まわしに、ボーイに肩入れすることへの逃げ道を作ろうとしている二人に、マイスターはゆるく釘を刺した。
 バレットと同一視し、彼のようになれと願っていても、バレットボーイに対してもそれなりの愛着を持っている。歪んだ師弟愛のような物が、ファクターズに生まれようとしていた。
 敵なのに。

 アパートの一室に駆け込んだバレットボーイは、タイツを脱ぐ事無く、床に大の字で寝転んだ。簡素なベッドと、旧型のPCや必要最低限の雑貨が揃った、簡素なワンルームのアパートが、ノゾミの住居だ。この部屋と家具類も、従兄弟のヒカルが、以前に使っていた物である。
 息荒く、床にしばし寝そべった後、のろのろと起き上がり洗面台へと向かう。マスクを取って、自分の顔を見るノゾミ。傷がさらに増え、どことなく覇気が欠けている顔は、敗残者の顔であった。またも自分はアインに負けて、こうして部屋に逃げ帰ってきたのだ。
「クソッ!」
 一度目は自分の正直なやり方で、二度目はバレットのトリッキーなやり方で。どちらを用いても、勝てなかった。しかも二度目は、己を曲げて、猿真似をした上での、敗北。屈辱は更に大きい。
 水道の蛇口を強く捻り、水を洗面台に貯めた上で、何度も顔を水に激しく漬ける。何度か繰り返した後、顔を上げたノゾミは、重い息を吐き出した。
「激しさは、自分の身を苛むだけだ。冷静を常に心得なければな」
 鏡に映っているオウルガールが、ノゾミを諭す。いつの間にか彼女は、ノゾミの自室に潜入していた。顔を洗うノゾミの背後に、音もなく立っていた。
「アンタは、何時になってもチャイムを覚えないんだな」
 素顔のノゾミは、平然としたままオウルガールと話す。彼女は既に、ノゾミの正体を知っていた。しかしノゾミは、オウルガールの正体を知らされていなかった。不公平ではあるが、仕方が無いことでもある。何故ならオウルガールは、未だノゾミを一人前と認めていない。
「今日も負けたな」
「……ああ」
「覚えているか、少年? 約束を」
 ノゾミの眉が、不機嫌そうに歪む。怒鳴りたくなる衝動を抑え、ノゾミは約束を反芻した。
「同じ相手に三度負けたら、バレットボーイのコスチュームを脱ぐこと。この街の守護は、相応しいものが出るまで、オウルガールが請け負う。忘れてないよ」
 三度目の正直という言葉は、たとえボーイ付きでも、バレットの名を名乗る上で、許されない物であった。不殺を第一に。どんな状況でも、悪を見逃す事なかれ。光速の力を悪用するな。オウルガールがノゾミに突きつけている約束は、多かった。もしノゾミが約束を破ったり、目に余る行為をした場合。ノゾミはヒーローに関わる全てのことから手を引き、ウェイドシティはオウルガールが掛け持ちで守ることとなる。
 いくらノゾミがヒーロー活動に命をかけるほど乗り気ではないとしても、これはあまりに屈辱的過ぎるヒーローの止め方だ。
「ならば。いい。だが、既に二度は負けている。ヒーロー二度負けた重みを、君は近々知ることとなるだろう。私との約束が無くとも、三度目の敗北は許されぬことも、それで知る。三度目の挑戦は、猿真似を選ばぬことを願う」
 意味深なことを言って、オウルガールは開きっぱなしの窓から出ていった。彼女には別の街の守護者としての立場があり、当然のように忙しい身だ。本来ならば、街から離れたくもないのだろう。
 ノゾミはベッドに腰掛け、一人悩む。いくら考えても、アインを倒す答えは出てこなかった。普段飄々としていた従兄弟とは違い、ノゾミは熱くなりやすい直情型だ。軽口も叩けないし、頭も固い。だがその分、何事にも真剣である。
 真面目なな性根で考え続けたものの、けっきょく次の日の朝になっても、答えは出なかった。

 ただ、ひたすらに考える。硬いパンを齧りながらも、単位のヤバイ授業の都合を考えながらも、本来乗る必要のないバスに乗りながらも、学校でタチの悪い上級生に絡まれながらも。ノゾミのあまりな真剣さを目の当たりにし、上級生が勝手に怯んで逃げ出した所で、ようやく答えが出た。
「わからない」
 なにをどうシミュレーションしても、アインに勝つというビジョンが浮かばない。今までは多少、勝ち目が見える敗北ばかりだったのに。バレットボーイというヒーローにとって、アインは初めての壁だった。教室の席について授業の支度をしていても、悩みは続く。
「そんなに傷が痛むなら、帰れよ。いや、マジで」
 遅れて教室にやってきたナカモトが、呆れた様子で声をかけてきた。
「ん? ああ、傷のせいじゃない、傷のせいじゃない」
「なんでお前、傷が増えてるんだよ。昨日よりヒデえ」
「バイトだよバイト、仕事がうまく行かなくて」
「どんなキツいバイトだよ、それ。ひょっとして戦場カメラマン? とにかくもう、休めよ」
「そうも言ってられないんだよ。なにせ、今日は科学の授業があるだろ。テストの点数悪いから、内申点で稼いでおかないと」
「成績落ちても死なないだろ? んなこといったら俺なんて、成績発表の度に十回死んでるぜ? 猫でも命が尽きるわ」
「確かに死にはしないけどね。普通。ただ俺は、殺されるけど」
 ヒーローであるのならば、学業も並以上であるべし。赤点はもっての外。
 これもノゾミがオウルガールに突きつけられた条件の一つだ。ヒーローだけではなく、人間としても鍛えるべし。厳しいように思えるが、最初の条件は全教科学年一位と無茶な条件だったので、それに比べれば十分マシだ。
「しかしお前みたいな奴もいて、同時にああいうレアキャラもいるんだよなー。面白いクラスだこと」
 ナカモトは一つ離れた席に座る少女を、ちょいちょいと指さす。何時も座り手が居ない教室の一席に、今日は主が座っていた。
 色の薄い黒髪が、椅子にかかっている。ため息をつきながら、手のひらサイズの文庫本を読む姿は、やけに儚い。
 瀟洒、清楚、たおやか、大人しくも魅力的な言葉がよく似合う美少女。その気になれば大学までの飛び級が可能な成績を持ちながら、歳相応の高校に通い続ける才女。それでいて、ロクに学校に来ない、謎の人。転校生であるノゾミが彼女、ヒムロ=ヒナタを見るのは二度目か三度目か。とにかくレアなクラスメイトだ。本当に、出席日数が足りているのかどうかを、疑ってしまう程に。
「なにか?」
 ヒムロは、表紙を見ただけで小難しさが分かる本を閉じ、ナカモトとノゾミの方を向いた。彼女のかけている眼鏡のレンズに、照れ顔の男二人が映る。
 どうやらヒムロは頭だけでなく、勘も良いらしい。
「あ。いや、なんでもない」
「すまない。少し五月蠅かったか」
 少しだけカッコつけで二人は謝るが、ヒムロはじいっと此方を見続ける。ヒムロは、ノゾミだけを見つめていた。
「ヒドいケガですね」
「ん? あ、ああ。ちょっとバイトでコケてさ」
 昨日に比べ増えたノゾミのケガは、他人の目を引くに十分な物であった。
「痛くないんですか? 休まないんですか?」
「平気平気、良い痛み止め使ってるし、特性のヤツ。学校はそうそう、休めないし」
 昨日、オウルガールが部屋から去った後、彼女謹製の痛み止めが処方箋と共に机に置いてあった。アインとの最終戦に使うにしては、多すぎる量。つまりコレを使い、日常生活を送れという事なのだろう。ならば、そうするしかない。
「本当に平気そう。良い痛み止めなんですね」
 ヒムロは納得していた。しげしげと観察し、結論を出す姿は、キャリアのある女医のようだ。
「でも、教室にいることはないんじゃないでしょうか」
「え?」
「保健室でも、授業は受けられますよ? そのケガで授業を受けていたら、先生もみんなも、気になってしょうがありません。いくらあなたが平気でも、周りが平気じゃないんです」
「……むむむ」
「何がむむむですか」
 唸るしか無かった。ヒムロの意見は、正論だ。ノゾミはよくても、周りは容易に納得できない。自分を貫き、他者を顧みない。それでいてヒーローであろうとするなんて、滑稽ではないか。
「なんなら、わたしが保健室に連れて行ってあげますから」
 立ち上がったヒムロは、ノゾミの手を取り、引っ張る。久々に、まともなやり取りの後に触れる女性の手は、ひんやりとして気持ちよかった。なにせ普段は、氷点下と灼熱が同居している女や、触覚よりも聴覚を刺激するような女としか触れ合っていない。しかも、主に拳で。
「さあ、行きますよ」
「いや、そんなに引っ張られると、痛くて……」
「痛み止めが効いているって、言ってたじゃないですか」
 ノゾミはヒムロに引っ張られ、強制的に教室の外へと連れ出されてしまった。這々の体で、スクールバッグだけはなんとか回収する。
「……いいなあ」
 ほぼ無視された形となったナカモトは、軽く唇を噛んで、友を羨ましそうに見送った。