バレンタインのおまじない

 僕にとってのバレンタインデーは、チョコを貰える日であり、姉さんのたわごとを聞く日でもある。いや、たわごとはいつもか。
「ふう、あたたかい。ウェルカムトゥようこそコタツパーク……今日もドッタンバッタン……できるわけがない! コタツで大騒ぎするやつなんて、シベリア送りだ。コタツの愛をかみしめろー……」
 何年たっても、この人は変わらない。若干、口調が変わった気はするけど。バレンタイン当日、業務用チョコをたんと買ってきて、コタツでだらだらしながらポリポリかじっている。それに付き合っている僕も、きっと変わっていないのだろう。
 なんとなく点けているテレビも、今日はなんだか茶色とピンクの占有率が高い。ワイドショーできらびやかなアイドルが出演者たちに甘い声で甘いチョコを配っている。なんだかまぶしすぎて、目を背けたくなってくる。
「うんうん、つらいよね。人間、だんだん輝きを失って、それと反比例で輝いている他人を見るのが辛くなっていくのさ」
 わかるよ、わたしはよくわかるよと、姉さんの顔は朗らかな優しさに包まれていた。同意したが最後、あのままこちらの足を引っ張って、輝きなき暗黒の世界に引きずり込むのだろう。人間、輝きを失うと狡猾に老いていくのだ。
「なに、その同情の瞳……ああもう、わたしもあの娘たちみたいに、本気出すかな」
「あの娘たちって?」
 思わず問いかける。姉さんはコタツにつっぷしたまま、軽く答えた
「そこのTVにいる娘たち」
 テレビでは、未だバレンタイン企画が続行中であり、今はアイドルグループが手作りチョコと格闘中であった。
 なるほど、バレンタインはこうやってだらだらするのが毎年恒例、「枯れる」の三文字が似合う女性が、楽しそうにきゃぴきゃぴやっている、僕よりも若くてファンもごまんといるアイドルと自身を並べているのか。むしろ、本気を出すとは、すなわち同じ土俵。アイドルにでもなる気なのか――
 ならば、弟としては、なんとか協力してやるべきだろう。
「握手会のサクラ、10人ぐらいなら用意できるから」
「え? なんでわたしがアイドルに? ああでも、こんな導入で始まるアイドルものって、結構多くない?」
 コタツから顔を上げた姉はきょとんとした顔をしていたが、だんだんまんざらでもない風になっていく。
 ああ、もうこうなったら正論をぶつけるしか無いだろう。
「最初から握手会をサクラでどうにかしようって話が出てきている時点で駄目じゃないかな」
「ですよねー」
 再びコタツにつっぷす姉。ああよかった、勝率一桁の戦いに挑むのを止めることができて、本当に良かった。
 まあそれはそれとして、疑問はあるわけだが。
「あの娘たちみたいな本気って、結局何?」
 いったいこの人は、どんな本気を出す気でいたのだろうか。
「そりゃあ、バレンタインのおまじないに決まっている。アイドルはみんな、おまじないを知っているからね」
 姉さんの回答は、いつもどおり聞いてもよくわからないものであった。

 

 ずずっとブラックコーヒーをすすり、ビターチョコを口中に投げ込む。
 見ているだけで苦い顔になりそうな取り合わせを楽しんだ後、姉さんは改めて口を開いた。
「芸能……っていうと新しいイメージがあるけど、芸の道はずっと昔から。他人から視線を集める生業は、たぶん古代からある。たとえば、アマテラスを引っ張り出すために宴会を盛り上げた、アマノウズメとかね」
 天の岩戸に閉じこもったアマテラスの注意をひくために、扉の前で繰り広げられた大宴会。アマノウズメは踊り子として皆を盛り上げ、結果、アマテラスは宴会の騒ぎが気になりすぎて、岩戸を開けた。服を脱いでまで踊り続けたアマノウズメは、日本最古の踊り子にしてストリッパーだと、聞いたことがある。
「当然、大きな注目を集めるには、本人たちの並々ならぬ努力が必要となってくる。歌に踊りに……きっとそのレッスンの厳しさは、本当に不変なものなんだろうね。でも、あと一歩で足りない、素質も鍛錬も十分なのに注目を集められない。そんな時に頼るのが」
 思わず、姉さんの答えを待たずに、台詞が口から出てきた。
「おまじないってこと?」
 姉さんはゆっくりとうなずいた。
「神頼みは0から10を叶えるものではなく、9を10にするべきもの。人事をつくしても足りないときにこそ、頼るべきなのよ。だから、不確かで移ろいやすい他人の視線を相手にする芸事の人間は、同じく少し足りない部分を補ってくれるおまじないの確かさを知っている。形や職業の呼び方は変わっても、脈々と誰かを伝って、おまじないはあり続けているのよ。芸能プロダクションに伝わっていれば、そこのアイドルみんなに伝わるからね」
 踊り子、巫女、アイドル……他人の視線を浴び続けねばならない彼女たちの中には、おまじないがあった。きっと、統治者が変わって戦争があっても、その系譜が途絶えることはなかったのだろう。
 でも、そう考えると、不思議な気持ちになってくる。今、こうしてつけっぱなしのTVに映っているアイドルグループ、自分はその一人のファンだ。あのちょっと気弱そうで、芸能界の荒波に必死で抗おうとしている感じがたまらない。その頑張っている姿を見ていると、なんだか頑張ろうという気になってくる。
 だが、ひょっとしたらこの気持ちは、おまじないによるものなのかもしれない。彼女の頑張りはきっと嘘ではない。それはわかっている。でも、僕の彼女を応援したいという気持ちはもしかしたら、おまじないで生じるナニカに与えられたのでは。そんな懸念が浮かんでくる。得体の知れないナニカの衝動が、自分を突き動かしている。そう考えてしまうと、なんだか不気味で……。
「まあ、今の話、半分くらい嘘なんだけどね」
 ビターチョコを噛み砕いた姉の口から、苦味と無情さが同時に出てくる。アイドルの頑張りは嘘じゃなかった。
 でも嘘は、目の前にあったのだ。

 

 ホワイトチョコを口の中で舐める。普通のチョコよりも柔らかく大きな甘みは、妙な嘘でささくれだった心を癒やしてくれた。
「ごめんごめん、あんまりも真面目に聞くから、話が盛り上がってついね。芸能人もみんな、おまじないとまではいかないけど、きっと縁起ぐらいはかついでいるじゃない? だって、人気が大事で、足りない何かを補いない商売ではあるんだもの」
 ぶーたれて横になっている僕に、姉さんは声をかけてくる。こちらが相手をする気も無いとばかりに返事をしなくても、姉さんは勝手に喋り続けていた。
「でも、きっと今、そっちが感じた不思議さ。自分の中の気持ちや衝動に手を付けられたのではと疑う心。それが、おまじないの怖いところなんだろうね。だって、一度頼ったら、きっと疑い続けてしまうのだから」
 確かに、さっき、ほんの一瞬だけど、僕はTVの無効のアイドルと、自分の気持ちを疑った。
 姉さんはため息をついて、再び語り始める。
「もし、どんな人の心でも惹きつけられるおまじないがあったとしましょう。そのおまじないを使って、意中の人の心を繋ぎ止められた。めでたし、めでたし。物語だったらこれでいいんでしょうけど、実際はこの先が本番なのにね」
「だろうね」
 おまじないで恋が成就する。おまじないの効果を示す逸話なら、これでいいのだろう。だが、これは恋愛の始まりであり、おまじないをかけた方とかけられた方、二人の物語はこれからなのだ。
「もし、順風満帆で上手くいっても。もし、突然フラれても。もし、段々と心が離れていっても。おまじないのおかげ、おまじないの効力が薄れた、おまじないのせいで。感謝も悲しみも恨みも、ぜんぶ自分たち以外のナニカにぶつけることになる。一度頼ってしまえば、もう心が離れられない。おまじない、漢字で書くと『呪』がついてお呪い」
 好きでたまらなくておまじないをかけた相手よりも、そのおまじない自体に心が向いてしまう。本末転倒と言うには、あまりに悲しい。
 0から10を叶えるものではなく、9を10にするべきもの。頼ってもいいけど、決して頼りすぎず。しばらくしたら、忘れてしまうぐらいの距離感で。それぐらいが、いいのかもしれない。
「あ」
 唐突に、姉さんが驚く。
「どうしたの?」
 今まで無視してたが、思わず聞き返してしまった。
「いま、テレビ見てたら、アイドルグループのメンバー全員の手首に、何か書いてあるのが見えてね。あの紋様は、何処かの本で見たことがあるような……」
「マジで!?」
 思わず起き上がり、TVをまじまじと見るが、既に番組は別のコーナーに移り変わっていた。彼女たちの出番は終わったのだろう。
 いくらTVじっと観ていても、そこにあるのは芸人がアツアツおでんの早食いをしている姿だけだった。
「今の話も嘘だよ」
 またも、自分が嘘をついたという姉さん。でもその語気は、なんだかやけに空虚に思えた。
 そんな姉さんが差し出したチョコミルクを受け取って、荒々しく噛じる。
 最初は味がしなかったけど、だんだん口の中に、チョコらしい甘みが広がっていった。

 ~了~
 

魔法少女F~1-4~

魔法少女F~1-3~

 一代で築き上げた、新築の高層ビル。一階から十五階まで、全てがWTコミュニケーションの社屋である。WTコミュニケーションで働く社員は雄に百を越え、未だ一般的には成長中と目されているだけあって、求人広告を出せば面接希望者がわんとやって来る。
 だが、立志伝中の人物とも言える社長は、最上階の社長室で俯いていた。
 ハナカゲ家を始めとした旧家が強いこの街にて、新参者としてよくやって来た。武器となったのは、自身と社員のやる気ぐらい。後は、お上品な旧家には出来ない、なりふりかまわなさだろう。
 結果、会社は急激な成長を遂げた。新参者を冷遇していた、旧家を凌駕する勢いで。こうなれば、彼らもこちらを相手にするしかあるまい。強気で居たものの、結局彼らがこっちに接触して来る事は無かった。当時は冷笑していたが、今なら彼らが接触してこなかった理由が分かる。歴史と伝統、保つ力を持つ彼らは、この会社が保てなくなることを見抜いていたのだ。
 まず牙を剥いたのは、自身が信奉していたやる気であった。目をキラキラと輝かせ、薄給にもめげず働いてくれる、愛しい社員たち。自慢の社員を外部に出した途端に来たのは、目だけをランランと輝かせ、やる気の元に洗脳されてる社員たちとの評であった。最初は何が洗脳だと憤ったものの、関連各所の売上高が目に見えて下がって来たことで、矛を収めるしか無かった。世間は、会社のやる気を認めず、不気味で異常な物と判断したのだ。
 本業が不調になれば、今まで好調の名の元に見逃されてきた、なりふり構わなさから汚濁が漏れてくる。談合、賄賂、粉飾、のし上がるためにごまかし続けてきた物が次々と顕になっていき、明日明後日には公権力の手が会社に入るだろう。
 社員は全盛期に比べ半減、社屋に空き部屋も多い。穴を埋めようと求人を出しても、やって来るのは時節に疎いヤツか何処の会社にも見捨てられた輩か。
 これでもう終わりだ。現在階下のホールに集まっている、こんな状況でも会社を見捨てない、やる気のエリートである社員たちになんと言えばいいのか。上手く立ち上げるより、上手く終わらせる方が遥かに難しい。
「それは、愛が足りないからですよ!」
 俯く社長が顔を上げると、机の前がピンクに染まっていた。
 頭から手足まですっぽりと桃色の布を被った何者かが、両腕を広げ立っていた。まるで祈りや賞賛を求める、降臨した神の如き大仰さで。
 怒鳴る気もない社長は、粛々と警備員室に連絡を取ろうとする。途中、経費削減の名の元に、既に警備員を全員クビにしていたのを思い出す。
「あなたは愛を貫いて、ここまで会社を大きくしたんじゃないですか。その大きな愛を、ここで終わらせて良いと思っているんですか?」
 布に覆われ、男だか女だかも分からぬ謎の人物は、社長の両手を捕まえ、布越しにじっと見つめる。よく見れば、布は桃色一色ではない。よく見ると分かる、微細なハート柄。小指の先ほどのハートが、ぎっちりと詰まっている。
「愛を全うしましょうよ! ラブ&ピース! あなたが本来持っている愛の激しさを、見せつけてやりましょう! まずは下で待っている皆さんに、配ってあげましょう!」
 愛の伝道師は、楽しげにくるくると回りつつ、動かぬ社長の身体にのしかかった。まるでランバダのように、情熱的なしなだれかかり。
 膝の上に見知らぬ何者かが乗っている状況。だが社長は、動かなかった。憔悴しきっていた肌に、紅色を。虚ろな目に、焔を宿しながら。

 畳んだダンボールを抱えたスーツ姿の警察官たちは、いいようにカメラのフラッシュを浴び続けていた。WTコミュニケーション本社前、手入れを予期し張り込みを続けていたマスコミの努力が実った瞬間だ。テレビに新聞に、ネット配信をメインとしたネット記者まで混ざっているのは時代だろうか。
 手でフラッシュを遮り、警察官は次々とビルに飲まれていく。おそらく数時間後、広げたダンボールに大量の証拠品を詰め込み、戻ってくるはず。マスコミにとっての次の勝負は、その瞬間だった。
 しかし、数十分後、警察官たちは戻って来てしまった。ダンボールは中身が入っているどころか、折り畳んだままで。あまりに急な帰還に、レンズ拭きやテープチェック、休憩時間として食事を取っていたマスコミが驚いたぐらいだ。
「ど、どうしたんですか? 捜査はどのように……」
 とりあえず、居並ぶマスコミの中で最も年長のリポーターが、これまた先頭に立つ最年長の警察官に尋ねる。こういう時に頼られるのは、やはりキャリアだ。
「申し訳ありませんでした!」
 返答は、いきなりの土下座であった。一人だけではない、警察官全員、一斉の土下座。なにがなんだか分からぬが、絵になるシーン。だが、通常のカメラもTVカメラもハンディカメラも、どのカメラもこの光景を撮っては居なかった。いかんせん、なにがなんだか分からなすぎるのだ。
「我々はWTコミュニケーションに疑いを持ち、こうして今日の一斉捜査に至ったのですが……全て間違いでした! 会社に足を踏み入れた瞬間に感じた熱意、浴びた瞬間、己の間違いを悟ったのです」
「いやいや、頭を上げてくださいよ。上げてくださいよ」
 リポーターは、この年長の警察官と顔見知りであった。警察が公権力である事を自覚し、例え間違いを犯しても頑なに認めようとしない警察官オブ警察官。そんな男のいきなりの土下座は、不気味すぎた。
「今となれば、無為な日々を悔いるのみです。このような素晴らしい会社の存在を知らずに、過ごしてきた人生。警察官となったことは間違いでした」
「間違いってそこからですか!? そもそもアンタが警察官になった時、WTコミュニケーション、まだ創設されてないでしょ!?」
「ですが、社長はそんな間違いを犯した我々を許してくれました。今からでも遅くない、私はあなた達を仲間として迎え入れます。むしろ、迎い入れさせて下さい。熱っぽい瞳で、我々一人一人の手を握りながら。ですから本日今日より、我々は警察官ではなく、WTコミュニケーションの一社員です!」
 ミイラ取りがミイラになる。それにしたって、ガサ入れの警察官が、いきなりその会社の社員になってしまうだなんて、前代未聞である。しかも嫌々とは真逆、目を爛々と輝かせて。
「ですがご安心ください、WTコミュニケーションは、やる気のある方なら誰でもOK、アットホームな職場ですから! 実力次第では、即管理職です。マスコミの皆さんは、やる気の時点で、我々の欲する友人です。是非とも――」
 一斉に顔を上げる警察官もとい、自称元警察官たち。彼らの顔は、目や鼻が黒く窪み、肌は真っ白に。全員がガイコツ同然の顔になっていた。
「社長の愛を、受け取ってください!」
 不気味な動きで飛び上がった先頭の警察官が、リポーターに組付き、WTコミュニケーションのビルへと連れ込む。同じように、警察官たちは次々とマスコミを捕まえていく。いつの間にか、開いていたエレベーター。エレベーターは投げ込まれたマスコミを、片っ端から上へと連れて行く。まるでわんこそばを食べているように、次々と人を吸い込んでいく。
 数分後、上からやって来た別のエレベーターの扉が開く。
「これで我々も、WTコミュニケーションの社員です!」
 ガイコツに変貌し、WTコミュニケーションの社員として戻って来たレポーターにカメラマン。彼らもまた、警察官と同じように人をビルに連れ込み始める。マスコミが全滅した今、彼らの標的は通行人であり、別の建物で働いている人々だ。
 WTコミュニケーションは、創設以来類を見ない、急成長状態へと突入した。

 
 WTビルの屋上にて、ピンク色の人物がクルクルと回っていた。
「いいですねえ、愛が広がってます! ラブは世界を救う!」
 愛を口にし、振りまき続ける。愛の伝道師は、己の仕事に満足していた。
「アクシデンタルにもう一人か二人、覚醒してくれるといいんですが。エンプティばかりというのも、味気ない話です。ああやはり、世界には愛が足りない!」
 激情の怪物アクシデンタル、感情が変貌までいかず、小さく人型に纏まってしまったエンプティ。百人以上を巻き込んで、アクシデンタルの域に達したのは一人のみ。率は、あまり良くなかった。
「やはり精神を従属で抑えてしまうと、大爆発は難しいんでしょうね。でも、舞台は整いました。さあ、私の愛を、受け取りに来てください!」
 骨を砕く音ではなく、肉を斬る音が階下から聞こえてきたのは、そんな時だった。
 音を知った瞬間、あれだけハイテンションに振舞っていた伝道師の動きが、ピタリと止まる。
「愛無き方が来てしまいましたか。最悪です」
 謎の伝道師は不機嫌そうに、屋上の配管を椅子にし座り込んだ。

 金髪の絹のような髪と、白とピンクのフリフリなドレス。いかにもな魔法少女が、WTコミュニケーションの本社ビルを、見上げていた。大きなリボンが、風に揺れている。混乱の街中、ビジネス街の魔法少女という妙な存在を視認しているのは数人ぐらいのものだ。
「エンプティというのを、相手していてよかったなーって思うことが、一つだけある」
 ビルから飛び出てきた複数匹のエンプティの手が、一人呟く少女に伸びる。腕は全て、少女に届くより先に、手首の先から吹き飛んでいた。
「なってしまったら、何をしても仕方がないってコトさ」
 大振りのサバイバルナイフを手に、少女は笑う。薄ら寒い笑みのまま、エンプティの四肢や胴体を切り刻んでいく。単にナイフの刃が鋭いだけではない、刃の使い方や刺し方、人体の刻める部分を、少女は熟知している。
 誰も観ていない、何をしてもいい、今この魔法少女に歯止めはなかった。
『おいコラ、グロは禁止だって言ってるだろうが! ユー・アー・魔法少女! OK!?』
 ミラーの大声が、通信機内蔵のイヤリングを揺らす。
「今日は、誰も見てないし」
 ふてくされたようにして、魔法少女の格好をしたアキラが返事をする。正確に言うなら、今のアキラはアキラではなく、魔法少女のアキ。エンプティやアクシデンタルを狩る、魔法少女のふりをするのが、アキのお仕事だ。
『いやいや、意外に人の目っていうのは見ているもんだよ? 天網恢恢疎にして漏らさずってヤツだ。それにオメー、せっかく俺が作った衣装の良さまで殺すんじゃないよ』
「はいはい」
 歯止めとなるミラーの声を聞きつつ、アキは太もものニーソックスに手を伸ばす。
 パン! パン! パン! 取り出されたハンドガンの銃声。銃弾は、まだ動けるエンプティにトドメを刺した。ビル周りにエンプティが居なくなったのを確認した後、アキは建物に足を踏み入れる。

 死屍累々のエンプティ。身体を包んでいたモヤが晴れ、出てきたのは素体となった人々だった。手を切り取られたり、頭を撃たれた個体も、五体満足の上、息がある。エンプティとなって日が浅い者は、エンプティを殺すことで、こうして戻れる。だからこそ、アキも手加減抜きで殺しにかかった。
 だが、長くエンプティのままでいれば、虚無が肉体を支配し、人には戻れなくなってしまう。殺されたら、塵になるのみ。そして現状、この段階のエンプティを救う手段はない。
 結局のところエンプティとは、「何をしても仕方がない」相手であった。

魔法少女F~1-3~

魔法少女F~1-2~

 シズナの長所は、自らを高め鍛えることに関しては文句ひとつ言わず付き従うこと。シズナの短所は、必要のない物と見切ってしまうと、たとえ世間一般で尊重されている物でも、必要最低限にしかこなさなくなる事だ。幸いなのは、彼女の必要最低限は世間で言うところの、一流の域に属している。お嬢様の面目を保つには十分だ。
 学業や学校生活に対し情熱を失っているシズナを学園に送った後、イスタスは車を降り、自らの足で目的地へと向かう。オールバックで硬めた髪を自ら乱し、上等な黒のスーツからオレンジ色のアロハシャツと緑色のタンパンに。サングラスを得意げにかける彼を見て、巌の如き老執事と同一化することは難しいだろう。きっと、シズナですら間近で見てようやく分かるレベルだ。
 イスタスが、自身の最も嫌う軽薄さを身にまとった理由。それは、シズナがアクシデンタル以上に危険視し敵視している、もう一人の魔法少女に会うためだった。

 元は、喫茶店だったと聞く。木造の木の香りかぐわしい喫茶店。通好みのコーヒーを出す店だったが、不況の折を受けて閉店。その後、元喫茶店の建物に入ったのはキャバレーにスナックのような水商売。数回のリニューアルを重ねた後、商売の上手く行かない場所として、数年以上空き家の看板が掛けられることになった。
 そんな呪われた土地に、久々に登場したニューチャレンジャー。新たな挑戦者は、長年の改造で様変わりした店の外見を元の喫茶店に近い形に戻すと、“ファンシーショップ ワンダーピット“の看板を掲げた。ポップ体の店名の下には「手芸用品、ケーキ、軽食」と書かれており、実際店の窓には手作りのぬいぐるみが置かれ、喫茶スペースもしつらえてある。ファンシーショップとの通り、女の子ウケする可愛らしい物を集めた店。既に喫茶店の記憶は昔、水商売の跡地という、あまりありがたく無いイメージがついているが、幸いこの店は近隣の女性客にとっての、注目の的となっていた。
 今日もまた、対象顧客層であろう女子高生がワンダーピットを訪れる。だが彼女たちの目線は、店ではなく、入り口をホウキで掃いている、一人の少年に向けられていた。
「あの……」
「はい。何か、御用ですか?」
 柔和な微笑みが、女子高生たちを蕩けさせる。話題となっているのは、この店ではなく、店でかいがいしく働く少年であった。スラリとした手足に、中性的で美しい面持ち。茶色の髪は海の向こうへの憧れを、無造作かつ懸命に働く様は母性本能を刺激させ。年若い乙女から、老いた婦人まで、数多くの女性が彼に注目している。
 ドギマギする心臓を抑えつつ、先頭の女子高生が会話を続ける。
「えーと、ここってお茶も飲めるんですよね?」
「ええ。飲めますよ。紅茶とケーキのセットを日替わりでご用意してます。今日はダージリン・ティーとシフォンケーキですね」
「それって、あなたが作ってるんですか?」
「いえ。お茶を選んでいるのも、ケーキを作っているのも店長です。僕は、下働きなので」
 扉が中からバン!と開き、続けざまにゴン!と激しい音がする。店の中から出てきたのは、身長2メートル超の、大きな男であった。
「いらっしゃいませ! お客様ですか!」
「ひぃ!?」
 筋骨隆々、半袖のシャツや顔には数多くの切り傷や銃痕が。どう見ても、カタギではない店長の朗らかな挨拶に、先頭の女子高生は悲鳴を上げた。これまた、フリルの付いた巨大エプロン(ピンク)が怪しさを引き立ててくれている。
「いえ、違います! 通っただけなので! では!」
 後ろに居た友達が、固まる友人を引っ張るようにして連れて行く。この店長のいかつさは、美少年への憧れで立ち向かえるほど、ヤワではなかった。
 客と思っていた女子高生たちの背が見えなくなった後、店長は見下ろすような視線で少年に話しかける。
「シフォンケーキだけでなく、ちゃんとホイップクリームも付いて来るって言わなくちゃ駄目だろ。アレぐらいの年の娘は、甘さが好きなんだから」
「どんだけいけしゃあしゃあなんだよ!? ったく、せっかく俺が接客トークで引きつけたのを台無しにしてさ!」
 先ほどの軟さは何処へやら。少年の口調も声のトーンも、一段荒くなっていた。
「いや待て。俺の何が悪いんだ?」
「外見」
 取り付く島も無かった。
「外見ってよお、人には言っていいことと悪いことがあるんだぜ!?」
「いやいや、アンタの外見でファンシーショップ言われても、マフィアの隠れ蓑か、都市伝説に出てくる系の店になるから。更衣室に入って、出てこない系の! そもそも、なんでファンシーショップなんだよ……隠れ蓑にするなら、バーとか本屋とかせめて喫茶店でいいじゃんよ……ファンシーショップなんかこの外見で開いたら、むっちゃ目立つじゃん」
「そりゃお前、ファンシーショップを開くのは俺の夢だったからな。あの地獄のジャングルや地図なしで砂漠の真ん中で立ち往生な状態で生き延びられたのも、この夢あってこそよ。迫撃砲をいじりながら、ガトリングガンをぶっ放しながら、ふわふわでもこもこな店を夢見たものさ」
「撃ち殺された敵がそれ知ったら、化けて出るぜ」
「お前はアレか。俺みたいな大男が、そんな夢を抱いちゃいけないと言うのか!」
「ダメじゃないかな」
「言い切りやがった!?」
 まるで兄弟のように、やいのやいのと言い合う二人。店長の名はミラー。 少年の名はアキラ。つい先日、この街に招かれ居を構えることとなった、血のつながりも無い二人であった。
「……あの二人でよかったのだろうか」
 アキラとミラーのやり取りをちょっと離れたところから見ていたイスタスは、地の固い口調で呟く。あの二人をこの街に招き、ファンシーショップ出店への出資をしたのは、他ならぬイスタスであった。

 ワンダーピットの店内は、外見通りのファンシーな造りであった。至るところにある動物のぬいぐるみは、ビルが1から作った物だ。初心者向けから玄人垂涎のアイテムまで、ワンダーピットにある手芸用品は、好きな人間が己の感性を信じ絞り抜いた、心地よい品揃えだった。
「いやあ。言ってくれれば、ちゃんと前もって好みの品を用意出来たんですがね。ローカロリーな物を」
 そしらぬ顔で店を訪れたイスタスを喫茶スペースの椅子に案内し、ミラーは厨房からケーキと紅茶を運んで来る。
 目の前に置かれたホイップクリーム抜きのシフォンケーキを、イスタスは口に運ぶ。ストイックな食生活なイスタスがクリームの類を好まないのを、ビルは良く知っていた。苺の風味が混ざったケーキは、クリーム抜きでも良い味をしていた。ふわふわでもこもこ、そんな評価が似合うケーキだ。
「悪くない。以前に比べ腕を上げた。技術とは、全てが鍛錬あっての物だからな。このケーキならば、よほどしくじらない限り、店としてやっていけるだろう」
「作り手がしくじりの理由になりそうですけど。主に、身の程知らずの外見のせいで」
 クローズの札をかけ、玄関を施錠したアキラが戻ってきた。
「お前は俺を夢ごと言葉で殺す気か」
「ビルの泡沫の如き将来設計はともかくとして、見たいものはケーキや店ではないでしょう?」
「出資者としては、店も気になるがね。一応、借金という形をとっているわけで」
「え!? 初耳なんスけど!?」
「言ってなかったからな。低利子にしておいてやるから、ちゃんと店で儲けを出して返すんだな。名目上、ハナカゲの店ということになっているから、怠惰は許さんぞ」
「一国一城の主の座すら、逃げていった!」
 例え、カモフラージュ用の店だとしても、イスタスの目は甘くない。ハナカゲ家の財産管理人として、後輩程度の縁で大きくお目こぼしをすることはなかった。むしろ、縁が深い相手にこそ、イスタスの目は厳しくなる。
 アキラはレジの脇にあるクレジットカード決済機に見せかけた裝置を、カチカチといじる。その後、棚にあるゴリラのヌイグルミの裏、場違いなコンセントを指で無造作に引き出し、そのまま捻ってみせた。
 壁が動き、地下室への階段が姿を現す。自らの大きさに合わせた階段をミラーが先頭で降り、他の二人は後に付いて行く。複数の鍵がかかった重い鉄扉を開けた先は、ファンシーショップと真逆の光景だった。
「実に、似合っている」
「こっち本業にしようぜーやっぱさー」
「うるせえよ! 俺は現実と戦い続けてやるからな!」
 完璧な防音対策が取られた総コンクリート作りの部屋にて、ミラーは置きっぱなしのガトリングガンを移動せんと持ち上げていた。ハンドガン、ショットガン、グレネードランチャー、スナイパーライフル、ロケットランチャー、対戦車ライフルのような銃器に、手榴弾やプラスチック爆弾と言った爆発物。果てはサバイバルナイフに日本刀やシミターのような癖のある刀剣類、スタングレネードやスモークグレネードのような非致死性兵器まで。とにかくワンダーピットの地下は、古今東西の様々な武器で埋まっていた。ご丁寧に、試射場まである。
「だがこちらはこちらで、よく手入れが出来ているじゃないか」
「夢を言い訳にして、貰った仕事に手を抜けるほど若くありませんよ」
 ミラーは大きな指で丁寧にマシンガンを分解。各パーツを確認し、破損したり歪んでいるパーツを真新しい物に取り替えていく。ヌイグルミを編み、ケーキを作るミラーの指は、ガンスミスとしても一流であった。
 ミラーとアキラ。イスタスが、魔法少女としての戦いに身を投じた主をサポートするために、ツテを使って戦場より呼んだ二人である。正確には、面識のあるミラーに、自身が欲する人材を頼んだ結果だが。
 巨漢ミラーの担当は、武器弾薬の手配とサポート。そして、美少年であるアキラの担当は――新たな、魔法少女になることだった。アキラもアキラで、ミラーの手により修繕されたコスチュームと、新たなカツラのチェックを始める。
「すまない」
 アキラに対し、イスタスは唐突に頭を下げた。
「本来女性に頼むべきことを、君のような少年に頼んでしまい」
「いいんですよ。慣れてますから」
 アキラは、軽く笑った。その笑みに、嫌味や拒絶は無い。
「貴方は俺に十分な敬意も報酬も払ってくれるし、それでいいんです」
 少年はどこまでも、割り切っていた。敬意も報酬も無いどころか、全てを踏みにじってくるような相手への仕事よりはずっといい。アキラもまた、シズナとは別のベクトルでおかしな若者である。だからこそ、イスタスが雇う価値がある。
「恨んでるとしたら、本来第一要項だった女性を用意できず、俺に泣きついてきたミラーですし」
「おいおい。俺を持てない男のように言うんじゃねえよ。女との付き合いは……目立たないけど、それなりにあるんだよ。だがなあ、いかんせん第二要項以降の“能力“を満たしている女が居なかった。一時期、デブラに声をかけようか悩んだが」
「ちょっと待て、デブラってあのデブラ? アンタと身長が左程変わらない、あのデブラ?」
「アイツに魔法少女させるのは無理だろ……腹筋バキバキだし、胸も筋肉だし。それもこれも、イスタスの旦那の要求ハードルが高過ぎるのがいけない。握力だの背筋力だの送られてきたが、あんなん女の記録じゃねえよ」
「お嬢様のデーターを、そのまま送っただけなのだが」
 しれっと語るイスタス。彼の欲するハードルを超えられる女性は、同年代の女性どころか、男性にまで枠を広げても、イスタスの知る限り一人しか存在しなかった。
 イスタスの持つスマートフォンが、無機質な初期設定音で鳴る。送られてきた情報を確認した後、イスタスは画面に出た地図を、二人に見せる。
「エンプティが、街中に出現した。急いで現場に急行し、排除してくれ」
 虚無人エンプティ。激情を持ちつつも、怪物アクシデンタルへの覚醒には至らなかった者達である。
「街中に!? 今、昼間ですよ!?」
「出てしまったものは、仕方ない。この情報は、お嬢様の元にも入っている。出来ればお嬢様が現場に着くより先に、仕事を終わらせておくように」
 アキラ達が常日頃からシズナを先回り出来る理由、それはイスタスのリークのせいであった。同じ情報を持つ上に、シズナの足を担当することも多い執事。彼に裏切られている以上、シズナが後手を取ってしまうのは仕方のない事だ。
「武器は?」
「市街戦じゃ、大火力なものは持って行けないぞ」
「ああ。じゃあ得意な物だけ、持って行けるな」
 ミラーとアキラは、早速出撃の準備を始める。この街にいる、もう一人の魔法少女。二人目の偽物の仕事が始まろうとしていた。

魔法少女F~1-4~

魔法少女F~1-2~

魔法少女F~1~

 先々代の当主である、亡きシズナの祖父。彼が新たな当主のために雇った、自らと同年代であり旧友でもあった男。既にオールバックの髪も鼻の下の髭も真っ白なものの、身体にはしっかりとした筋が通っており、動きにも思考にも老いは無い。巌の如き容貌から、頑固さがにじみ出ている。
 カレル・イスタス。ハナカゲの財産管理と外交を一手に担う欧州生まれのこの執事が居たからこそ、ハナカゲ家は名家としての格と財を保てているのだ。

 イスタスがハンドルを握るのは、黒塗りのベンツ。イスタス本人もそうだが、シズナの祖父もこの車の、ドイツ車の質実剛健さを愛していた。以後、何度車を乗り換えようとも、ハナカゲの車はオーダーメイドのベンツとなっている。時折、頑丈さと生存性では天下一品のボルボも混じるが。
 目的地は学校、目的は主の送迎。イスタスが運転する車の後部座席では、主であるシズナがせわしなく手を動かしていた。
「感心しませんな」
 ミラー越しにイスタスはシズナの手元を見咎める。
「先日ビルに飛び移った時、自らの身体の揺れに心もとなさを感じたので」
 シズナは握力を鍛えるハンドグリップを何度も握りしめていた。確かに握力を鍛えれば指の力にも直結し、結果クライミングの際、己の身体を上手く安定させることが出来る。だが、イスタスが見咎めたのは、そんな点ではなかった。
「シズナ様は、根本的に間違っておられます」
 確かに、執事付きの車でお嬢様が筋トレに勤しんでいる光景は、間違いである。イスタスが口を開こうとした瞬間、
「停めて!」
 シズナの言葉が、イスタスの口を塞いだ。イスタスはハザードを点け、道の脇に車を寄せて止める。
「どうされました?」
「ブレスレットが反応しています」
 シズナの左手に巻かれたブレスレット、装飾である巨大なルビーが鈍く点滅していた。上下左右、シズナは様々な方向に腕を動かす。その度に光り方の変わるルビー、最も強く反応したのは、左方向であった。
「ここで降ります」
 学生には不釣り合いなアタッシュケースを手に、シズナは車から降りる。
「学校は?」
「怪我の後遺症が出たため、遅れると言っておいてください。出席日数はちゃんと計算してありますから」
 彼女にとって、学校とは優先順位の低い物であった。止める間もなく、治安の悪い通り方角へとシズナは飛び込んでしまう。イスタスは、フンスと、不満気に鼻を鳴らした。

 ビルの二階から、路地に直接飛び降りるシズナ。格好は制服から黒の線が出るドレスに、髪型は後ろ髪をゆるく結わえただけの物から、両脇でしっかり固めたツインテールに。この格好が、彼女の魔法少女としてのコスチュームであった。魔法の力で煌めきとともに変身!という優雅な物ではなく、普通に着替えただけだ。脱いだ制服は、この衣装が入っていたアタッシュケースに詰めて、今しがた飛び出てきたトイレの個室の天井裏に隠してある。
 ゴミが散乱する路地を、ステッキを手に歩くシズナ。月の装飾がされたステッキは、実にファンシーでファンタジックである。ゴミ箱に頭を突っ込んでいた猫が、脇を通ったシズナをフギャアと威嚇し、何処かへと駆けて行った。この通りは、監視カメラのような手段で覗ける通りでは無い。だからこそ、自分の足と、このブレスレットに意味がある。ブレスレットの点滅は徐々に激しくなっており、もし音を発する機能があるならば、この裏通りから自宅のリンにまで届く音が出そうな勢いだ。
 ブレスレットが欲す、目的の物は近い。おそらく、この通りを曲がった先に。足音を殺し、慎重に通りを曲がるシズナ。通りの先にあったのは、拍子抜けする光景だった。
「やめてください! やめてください!」
 くたびれた様子のサラリーマンに、無駄に趣味の悪いブーツの爪先が何度も突き刺さる。まるでアマゾンの毒ガエルのようにケバケバしい色調のチンピラが、謝り続けるサラリーマンを何度も蹴り続けていた。こういうのは魔法少女ではなく、官憲や正義のヒーローがどうにかする物だ。シズナは唯一自分の意志が入らぬ道具であるブレスレットを疑った。
「あ? なんだ、アイツ」
「コスプレイヤーじゃね?」
「何処の店のだよって、この辺りに、あんな上玉のいる店、無えだろ」
 シズナに気づいた三人のチンピラは、濁った目でシズナの値踏みを始める。あの眼の色、どうやら妙な薬を身体に注ぎ続けているらしい。肉体は痩せていても、凶暴性は上がっている。危険な、人種であった。
「ちょっと待っててくれよ。金ならあるんだ、金なら。高い遊びも、悪くねえ」
 風貌に似合わぬ、茶色の革財布を見せつけるチンピラ。財布を見て何か言おうとしたサラリーマンの顔を、チンピラは踏みつける。
「どういうプレイが出来るんだ? 是非とも、俺はこの脚で」
 シズナのスリットが入った長いスカートを、しゃがみこんだ上で指で摘もうとするチンピラ。その身体が唐突に上に吹き飛ぶ。シズナの膝蹴りが、チンピラの顎を破壊していた。
 「何しやがる!」「テメエ!」そんな二束三文の台詞を言うより速く、シズナの手にしたステッキが、煌めきと共に男達をのしてしまう。光の力を前に、凶暴性だけがウリな痩せぎすの男達は浄化されるしか無かった。
 ステッキの外見を持つ、スタンロッドに顎や喉笛を叩かれては、こうなるしかなるまい。光の力とは電力であり、浄化とは相手を動けなくなるまで叩きのめす事である。
 シズナはチンピラの落とした財布を拾うと、横になったままのサラリーマンに投げつけた。間違った情報を示したブレスレットを軽く指で弾くと、シズナはこの場を去ろうとする。警察や正義の味方の仕事を、魔法少女がやっても咎められはすまい。やっては行けない決まりは別にない。そんな事を、考えつつ。
「ううっ……いつもこうだ……ううっ……」
 サラリーマンは泣き続けていた。
「必死に働いたのにリストラされて、家族には逃げられて、なけなしの金も取られそうになって、挙句の果てには面白い格好の変な娘に助けられて」
 聞き捨てならねえ事を言われたと、シズナは脚を止め振り返る。だがそんな事以上に、ブレスレットの点滅が度を超えて激しくなっていた。黒いシズナの身体を、赤で染めるぐらいに。
「私がいったい、何をしたんだぁぁぁぁぁ!」
 サラリーマンの身体が数倍に膨張し、身体の穴という穴から吹き出た闇が身体を包む。不遇による激情が、人の身体を化生へと変貌させる。
 喜怒哀楽、人が持つ様々な感情。感情が激情へと変貌し吐出されるとき、激情は人を心身ともに痛めつける。だがここに、ある者の思惑が入った時、激情は力となり人を怪物“アクシデンタル“へと変貌させる。このアクシデンタルこそが、シズナの敵であり、目的である。
 巨大な脚が、呻くチンピラ三人を、一緒くたに蹴り飛ばす。傷めつけるどころではない、本能のままの暴力。三人はまとめてビルの壁面にぶつかり、動かなくなってしまった。貧弱なサラリーマンは、チンピラどころか刀傷が自慢なヤクザの親分やベルトホルダーの格闘家が裸足で逃げ出す怪物に変貌していた。ケバケバしい、警戒色まがいの色彩。そのヤンキーめいた色使いは、まるで今しがた彼を痛めつけていたチンピラそのものだ。力の象徴、力の恐怖として具現化している。
 ごめんなさい。間違ってなかったんですね。
 自らに向かってくるアクシデンタルに構わず、シズナは弾いてしまったブレスレットを今度は優しく撫でる。動かぬ彼女に、アクシデンタルの無造作な蹴りが襲いかかった。
 強大な力任せの蹴りと言えば聞こえがいいが、見方を変えれば素人丸出しの足裏が見える蹴りである。空気の唸りに構わず、シズナはスライディングと見紛えるほどの低い姿勢でアクシデンタルの脚を潜り抜けると、ステッキを思いっきり丸出しの膝裏に叩きつけた。
 電撃の激しい音と、打撃の鈍い音。アクシデンタルが反応するより速く、軸足の膝頭にステッキでの一撃を加える。両足を攻撃され、揺らぐアクシデンタルの巨体。シズナは仰向けに倒れようとする巨体に、迷うことなくしがみついた。
 胸ぐらに張り付いての、執拗な殴打。何度も何度も、ただ力任せに殴り続ける。アクシデンタルが傾き、地面に着くまでの数秒。殴打の数は、100に届く勢いだった。
 動かぬアクシデンタルの身体が霧散していく。中から出てきたのは、若干の鼻血を垂らした先ほどのサラリーマン。こうして、早い段階で呪いを(力づくでも)解いてしまえば、多少の怪我で生還できる。彼は、多少運が良かったのだろう。
 本体と分かれた霧は、シズナのブレスレットに吸い込まれていく。輝きを若干増した宝石を見て、シズナは息を吐き、気を抜いてしまった。
 シズナの腕が、背後より捻り上げられる。手に持つステッキと共に、殺された片腕。即座に両の膝裏が蹴られ、シズナは地面にねじ伏せられる。襲撃者は己の身体の重さを利用し、シズナの身体を封じてしまった。先ほどまでの、シズナの冷酷なまでの速さを超える、迅速な技であった。
「安心が早すぎます。安堵とは、全てを終えて後にする物。そうですね、理想は夜寝る間際ですかね。このタイミングなら、夢でも反復出来る」
 見事なまでの技の冴えを見せつけた後の、アドバイス。シズナは地面に押さえつけられたまま、頷く。イスタスは、ゆっくりと技を解き、立ち上がったシズナの服の汚れを、手にしたブラシで掃いた。
「ついて来なくてもいいのに」
「そうはいきません。偶には、実地での貴女の強さを見ておきませんと」
 魔術魔法の力を持たぬシズナを、ここまで磨きあげたのはイスタスであった。武術で言うなら師匠、スポーツで言うならコーチとして。本来、挑む上で必要な才能が無い少女を、他の才能にて挑める領域まで引き上げる。この無茶無謀を成し遂げるには、シズナ一人の力では足りなかった。
「それに、先ほどのハンドグリップ。私も使ってみましたが、やはり良いものではありませんでした」
 イスタスの手の中にある折れたバネや崩れたプラスチック。数分前までシズナが車の中で使っていたハンドグリップだった物だ。
「常日頃から握力を鍛えるのであれば、柔らかいゴム毬が一番です。本来、人間は人工の器具に頼らず自然由来の物を使うのが一番なのですが、握力は自然に頼るのがどうも難しい。ですが、手は幾つもあります。帰宅後に、順次やっていきましょう」
 単に手段や手法を知っているのではない、彼には経験があり哲学がある。おそらく、イスタスを雇った祖父は、今の状況を予期していたわけではない。だが、祖父が戦場で知り合った、当時病的なまでに強さへの欲求を抱き自己鍛錬を続けていた男は、シズナが欲している物を完璧に所持していた。シズナが鍛えられるだけの素養を持つのも、元々はイスタスが“軽め“に長年彼女を鍛えていたことによる。
 魔法少女の衣装に着替えてから鉄面皮を貫いていたシズナが、初めて疲れた様子を見せる。
「アクシデンタルを駆逐するより、貴方の眼鏡にかなうほど鍛える方が難題ですね」
「当然です。何故なら駆逐は所詮目先のこと、鍛えることは人生が終わるまで延々と続くのですから」
 イスタスは表情を一切崩さず言い返す。鍛錬という道をずっと歩き続けている先達。この、止まらない先達に追いつく手段は、奇跡や魔法しか無いのでは? 奇跡も魔法も持たぬ魔法少女の脳裏に、そんな夢想が少しだけよぎった。

魔法少女F~1-3~

魔法少女F~1~

※以前唐突にアップした、
魔法少女F~A~
魔法少女F~B~
魔法少女F~C~
この3話と大体地続きです。

 陽の光と小鳥のさえずりを目覚ましに起床。シェフの用意した朝食を優雅に口にし、悠々とお見送りの車に乗り込み登校する。この街で最も裕福かつ名士としての名声を持つハナカゲ家の当主であるハナカゲ・シズナは、こんな朝を迎えているだろう。最も陰鬱な彼女には似合いませんが。口さがない同級生たちは、嫉妬混じりでこんな陰口を囀っている。
 当然ながら、彼女はこのような優雅な朝を迎えてはいない。だがきっと同級生たちが彼女の朝を見たら、まず仰天するだろう。何故なら彼女の朝は真逆すぎるのだから。
「498、499、500!」
 規定の回数を終えたシズナは、腕立て伏せを止め汗を拭う。腕立て500回、本来1000までは行きたい所だが、今後の予定が詰まっている以上、仕方ない。
 この時間、太陽は未だに登っておらず、部屋は人工的な明かりで照らされている。だが、この部屋はそもそも何時になろうとも陽が差さない。彼女は地下で一人、黙々と鍛錬を続けていた。篭った空間で、汗は蒸気となり生暖かい熱気となっていた。使い込まれた様々なトレーニング用具が、嬉しそうにテカっている。
 スポーツブラとスパッツという軽装のまま、シズナはトレーニングスペースの脇にある巨大なコンピューターの前に座る。映画館のスクリーンもかくやと言ったモニターに浮き上がる、様々な街の情景。首に巻いたタオルで汗を拭いながら、シズナは写った景色を一つ一つ確認する。せいぜい、裏通りの見つけにくい所で酔っぱらいが寝ているぐらいで、他平和な物だ。シズナは匿名で警察に酔っぱらいの事を通報した後、目的の物が見つからなかったことを再確認する。安堵と失望、感情は半々であった。
 コトッと、分かりやすい音を立てて置かれる皿とコップ。皿の上に乗るのは、新鮮なレタスが添えられたスクランブルエッグとトースト、コップになみなみと注がれたのは牛乳であった。
「……これは?」
「朝食です」
 朝食を持ってきたメイドは、眉一つ動かさず答える。
「朝は時間が惜しい、だからゼリーやレーションで良いと言いましたよね? それに、飲み物はスポーツドリンクが良いと」
「駄目です」
「駄目?」
 主の希望は、一言で切り捨てられた。
「お嬢様は食事も鍛錬の一部に加えておりますが、本来食事とは癒やすものです。あのような味気ない食事の一貫、例え神が許して本人が許容しても、私がこの家の台所を預かる限り、絶対に認めません」
「でも」
「認めません」
 シズナより一回りだけ年上なメイド。だがその言には、並の年長者を容易く越える威厳と強さがあった。シズナはしぶしぶと、望まぬ朝食を舌に乗せる。
「おいしい」
 思わず出た言葉、スクランブルエッグは好みである半熟、トーストはカリッとしつつホワっとしており、牛乳も疲れた身体を癒してくれる程よい暖かさ。
 自ら口にした言葉に気づき、シズナはハッ!とメイドの方を見る。彼女は、満面の笑み、してやったりな笑顔を浮かべていた。
「いったい、どれだけ一緒に居たと思っているんですか? お嬢様の好みは熟知しています。勿論、栄養面にも気を配っております。私に全部お任せいただければ、きちんと毎食おいしい上に、鍛錬に応えるだけの栄養補給も出来ますよ」
「考えておきます」
 シズナはコップを手にし、プイっとメイドから顔を背ける。本音ではその方がいいと分かっていても、独立独歩、自らのイメージや目指した物を優先したいシズナにとって、こうも手のひらに乗せられるのは我慢が出来なかった。
「分かりました。汚れたお召し物は、シャワールームの洗濯カゴに突っ込んでおいてください。シャワーをしている内に、新しい下着と制服は用意しておきますので。そうそう、カラスの行水でシャワーを終えて、私の準備を出し抜いてやろう。なんて事は考えないようにして下さいね?」
「そんなこと、考えていません」
 声は平静を装っているが、その裏の裏には悔しさが僅かにある。十年来、付き合ってる人間でないと分からないぐらい奥に。20代にて、ハナカゲ家の家事全てを一人で取り仕切るアカネ・リンとはそんなポジションの人間だった。幼い頃から共に育ち、姉のようにシズナを見守り続けた末ついに彼女の無茶も認めた彼女は、シズナがシズナであるために欠かせぬ人間である。
 食事を終えたシズナは、手を差し出したリンの手にタオルを渡す。
「後片付けは、しておきますので」
 そう言うリンに後を任せ、シズナは広大な地下室を後にする。
 自宅のワインセラーや倉庫であった地下の空間をぶち抜き作った、大広間の如き空間。鍛えるためのトレーニングスペース、コスチュームや武器を収めた保管庫、装備をアップグレードするための研究場、街を見渡す目となり耳なり頭脳にもなるコンピューター。この空間全てが、シズナが魔法少女であるために、必要な物だった。 

魔法少女F~1-2~